「島津義弘」”鬼島津”の異名を持つ男は、伝説的な”釣り野伏”の使い手だった!


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戦ヒス編集部
読者さまから2023/12/25に頂戴したご意見を以下にご紹介します。

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御重物が当時送られたとしても忠恒はまだ10歳前後で、そもそも義弘の嫡男として扱われていたのは兄の久保(ひさやす)です。
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2024/01/25 10:50