嫉妬にもだえる独眼竜!?伊達政宗、50代のBL事情について
- 2020/09/23
「独眼竜」の二つ名で東北にその人ありといわれた武将、「伊達政宗」。「伊達者」の語源となった傾奇者でもあり、その奇矯で豪快な振る舞いは伝説的ともいえるエピソードの数々として語り継がれています。
しかし一方で、男色を隠すことなく壮年期にも激しい同性への恋情を示したことが、その記録からわかっています。伊達者の名に恥じない堂々とした恋愛関係であり、戦国の男同士のつながりを示す史料としてもよく知られています。
今回はそんな伊達政宗のBL事情について見てみることにしましょう。
しかし一方で、男色を隠すことなく壮年期にも激しい同性への恋情を示したことが、その記録からわかっています。伊達者の名に恥じない堂々とした恋愛関係であり、戦国の男同士のつながりを示す史料としてもよく知られています。
今回はそんな伊達政宗のBL事情について見てみることにしましょう。
密告から恋人の浮気を疑い、激しく嫉妬!
政宗が恋人の「只野作十郎」に向けて書いた手紙が残っています。そこには作十郎の浮気を疑ったことへの詫びと、言葉を荒らげたことへの後悔の念が綴られています。大まかな経緯を説明すると以下の通りです。
ある坊主の密告で、政宗が当時恋愛関係にあった只野作十郎に横恋慕する者がいるという、不確定な情報が政宗のもとにもたらされました。
情報の出どころはよくわからないものの、その坊主の投書では作十郎のことがやけに詳しく書いてあり、政宗は疑念が募ります。恋人への疑いと嫉妬が最高潮に達した政宗は、酔った勢いから酒宴の席で作十郎を罵倒してしまいます。
ところがそれを嘆いた作十郎から後日、身の潔白を示す血判入りの起請文が送られてきます。酔って暴言を吐いたことを悔いた政宗は、自身の心情を正直に吐露した手紙を作十郎に送りました。
情報の出どころはよくわからないものの、その坊主の投書では作十郎のことがやけに詳しく書いてあり、政宗は疑念が募ります。恋人への疑いと嫉妬が最高潮に達した政宗は、酔った勢いから酒宴の席で作十郎を罵倒してしまいます。
ところがそれを嘆いた作十郎から後日、身の潔白を示す血判入りの起請文が送られてきます。酔って暴言を吐いたことを悔いた政宗は、自身の心情を正直に吐露した手紙を作十郎に送りました。
以上が事のあらましですが、時に政宗は51~52歳。相手の作十郎の年齢はわかりませんがまだ若年だったと推定されます。
十分な経験を積んだ大人の男性であるにも関わらず、激しく嫉妬心を燃やして難詰するあたりは激情的といわざるを得ません。そして重要な点として、作十郎は政宗への起請文のために刀で腕を突き、その血で血判を捺したということです。
このような流血を伴う誓いの儀式は戦国期によく見られたといい、次にそのことをもう少し詳しく見てみることにしましょう。
痛みを伴う誓いの儀式、「貫肉(かんにく)」とは
作十郎が自らを刀で傷つけて流血させ、それをもって血判を捺したことは先に述べた通りです。何らかの誓いや証を立てる際に自傷する行為を「貫肉(かんにく)」あるいは「腕引(うでひき)」といいます。痛みを伴う行為によって自身の誠意を示すという儀式であり、男色に限らず戦後期までには広く行われていたようです。
互いに流血をもって愛情や絆を確かめ合うという、ある種戦国武将らしいともいえる風習であり、政宗も若かりし頃にはしきりに貫肉を行ったことが作十郎宛書状の中で語られています。
腕や腿を突くといい、政宗の身体はそういった男性同士の恋愛関係の証としての傷も多くあったのだといいます。
書状では年齢不相応の貫肉を恥じて、控える旨のコメントが残されていますが、分別のある大人として率先してすべきことではないという意識が働いていたようです。
事の経緯を見てみると、最初から政宗自身に分別が足りないような印象は拭いきれませんが、少なくとも嫉妬や不安といった恋愛感情は異性愛のそれと何ら変わることのない様子がうかがえます。
また、戦後期のボーイズラブでは恋情のみならず男同士の友情や絆といった関係性も含まれたといわれますが、貫肉という痛ましくも勇ましい愛情表現からは、そういった武人の矜持のようなものも感じさせます。
主従でも、恋人として対等であった
戦国期の男色関係を考えるうえで少し話が複雑となるのは、「主従」と「恋人」という二重の関わりの中にそれがあることです。基本的には年上の主君と若年の家臣(小姓)との恋愛という「若衆道(わかしゅどう)」が想定されますが、確認される事例からはたとえ主君であっても、部下としてではなく対等な恋人としてその人格を尊重していることがわかります。
本コラムで取り上げた政宗の、年齢差があると思われる年下の部下に対しての手紙は非常に丁寧なもので、自身の思いや謝罪の念を素直に書き綴っています。
これはとても一国一城の主としての態度というよりは、生身の人間同士としての恋愛関係によって立つ絆であるといえるのではないでしょうか。
時に嫉妬し、時に機嫌をとり、互いの愛情を確かめ合おうとする様は現代の恋愛事情となんら変わらないようです。そういった関係がどのように発展してどういう形で終息していくのかはよくわかっていませんが、政宗の激しい気持ちが表れた書状は、貴重な史料となっています。
おわりに
男らしいイメージの強い伊達政宗ですが、書状の内容からは繊細で疑り深く、やきもち妬きという意外な一面が垣間見えます。当時の婚姻は政略的な面も大きく、一族同士の契約という重大な意味合いも持っていたため、もしかすると男同士の恋愛でこそ初めて素直な気持ちを表すことができたのかもしれませんね。
【参考文献】
- 『性と愛の戦国史』 渡邊大門 2018 光文社知恵の森文庫
- 『戦国武将と男色 知られざる「武家衆道」の盛衰史』 乃至政彦 2013 洋泉社
- 『破壊と男色の仏教史』 松尾剛次 2008 平凡社新書
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