日本の縁起物「熊手」 ──かき集めるのは落葉か幸運か
- 2023/05/19
商売繁盛の縁起物として知られている「熊手」。実際の熊の尖った爪を想像すると、何故に縁起良い物にその名がついたのかと若干疑問に思います。東北に住んでいる私は、熊手を売ってる神社を地元では見たことがありません。
熊手というと、庭や公園の落葉をかき集める背の丈ぐらいの掃除道具にしか馴染みがないです。しかし幸運をかき集めたいのが凡人の願いです。ご利益にあやかるためにも縁起物の熊手を考察してみます。
熊手というと、庭や公園の落葉をかき集める背の丈ぐらいの掃除道具にしか馴染みがないです。しかし幸運をかき集めたいのが凡人の願いです。ご利益にあやかるためにも縁起物の熊手を考察してみます。
熊手と酉の市
縁起物の華やかな熊手は12月の酉(とり)の日に、各地の神社で行われる「酉の市」で売られます。財宝を掻きこむという評判の熊手は、値段が高いものになると米俵、達磨、おかめの面などたくさん幸運グッズが貼り付けられています。大きければ大きいほど叶いやすいと思うのが、人の欲です。人より立派に見えるのが欲しくて、つい財布の紐が緩んでしまうのかもしれません。
浅草の酉の市が有名です。江戸時代から続いていて、商売繁盛を願う江戸っ子にとって大事な日です。お隣同士の「長國寺」と「鷲(おとりさま)神社」が協力して開かれています。お寺と神社の両方お詣りできるとは、ありがたさ倍増な気がします。
農具・掃除用具としての熊手
熊手売り場では勢いのよい売り手の掛け声の中、お気に入りの熊手を買うために人々が群がるようです。なぜに酉の市で熊手が売られるようになったのでしょうか? はっきりとした理由は定かではありませんが、元々は江戸時代に酉の市を開くために集まった商人たちが、自分の店の周りに散らばった落葉などを掃くために、自宅から掃除用具の熊手を持ってきたのが始まりではないか、という説もあります。
なんだか普通っぽい理由過ぎますが、確かに酉の市が開催される11月は、旧暦にしても落葉の多い季節です。やはり儲かる商売人とは店の周りも小ぎれいにしたのでしょう。お店って第一印象で入るか入らないか決まりますよね。
店周りを掃除したことで繁盛した商人が、今度はお客に農具・掃除用具として熊手を売ったのです。そして、洒落好きな江戸っ子商人たちは「この熊手は必ず幸運をかき集められるぞ~」と威勢よく呼びかけていたようです。江戸商人の商才とユーモアの心でどんどん膨らんでいき、今の熊手の形になったと思われます。
昔、熊手は武器として使われた?
今、農具や庭掃除の道具として使われている熊手は、実はもともと武器であったようです。平安時代末期からでした。長い棒の先に熊の手のような爪型をつけたのです。なんと難しそうな技術なんでしょう。戦いの時に敵を熊手の先で引掛けて倒したり、馬上からひきずり下ろしたのです。想像するとなかなか興味深い光景です。
渋谷義男著の『決戦の日本歴史(王朝の巻)』で平家物語の平頼盛について書いた「兜にかけた熊手」がわかりやすかったので抽出します。
「鎌田の召使ってゐる者に、八町の治郎といふ者がをつた。…敵の大将頼盛が都でも名高い馬に乗つて全速力で退いてゆくのを、少しも劣らず追ついて、兜の先に熊手をかけて引落さうと、いっしょに走り出した。頼盛は引かけられまいと兜を傾け傾け馬を急がせるので、五六度はかけ外したが、とうとううまく引かけて「えいや」と引いた。あはや落馬と見えたところが、頼盛もさる者、すばやく太刀を抜いて、すつぱと切れば、熊手の柄は手元二尺ばかりを残したきり。八町の次郎は思はず、どうと仰向けに倒れた。」
兜の先に熊手を引掛けて、頼盛を馬から落とそうとしたのです。走っている馬に乗ったままではかなり難易度の高いような気がします。
また、平徳子(たいらの とくし、1155~1214)が入水自殺しようとした際、熊手によって引き上げられたともありました。
『保元物語』には、矢で穴が開いて沈没した舟の仲間を熊手で引き上げて助ける場面があります。海戦では敵の船を引き付けるためだけでなく、仲間の救助にも使われました。
武蔵坊弁慶(むさしぼう べんけい)が背負っていた七つ道具の一つに鉄の熊手がありました。弁慶の七つ道具は薙刀、熊手、大槌、大鋸、刺又、突棒、袖搦(そでがらみ)です。薙刀が弁慶の一番のイメージでしたが、熊手も使っていたのですね。
いずれの場合も、熊手はその形を生かした戦いの必須アイテムだったようです。ホームセンターで熊手を見る度に、古の戦いを想像してしまいます。
さいごに
酉の市の始まった頃の江戸時代は、神仏への祈願や生活の安泰を願う行いは、今よりずっと日々の暮らしに密着したものだったと思います。身近な掃除道具にも神様が宿るとは、庶民らしい心が見えます。私たちが縁起物や御朱印を集めたり、神社仏閣をインスタ映えするよう撮影するのもまた現代なりの神仏への親しみなのだと思います。
「言の葉を熊手のように集めけり」(さとうえいこ句)
【主な参考文献】
- 渋谷義男『決戦の日本歴史(王朝の巻)』(天地書房、1924年)
- 高木武編『平家物語(抄)』(三省堂、1934年)
- 石井明『江戸の風俗事典」』(東京堂出版、2016年)
- 浅草 鷲神社 公式HP
- 浅草 酉の寺・鷲在山 長國寺 公式HP
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