「光る君へ」未亡人・紫式部に言い寄ってきた男の「正体」
- 2024/08/05
大河ドラマ「光る君へ」第30回は「つながる言の葉」。
長保3年(1001)4月、紫式部は夫の藤原宣孝を病で亡くします(宣孝には式部の他にも妻がいました)。結婚して2年ほどで未亡人となってしまったのです。式部と宣孝との間には娘(賢子)がおりました。そうした身の上の式部に想いを寄せる男が現れます。その男は、想いを告げる和歌を式部に送ったのですが、式部の返歌は次のようなものでした。
「かへりては 思ひしりぬや 岩かどに 浮きて寄りける 岸のあだ波」
(お帰えりになって、私の堅さを思い知りましたでしょうか、岩角に浮いて打ち寄せた岸のあだ波のように言い寄ってきたあなたは)
との式部の返歌からは、男のアプローチが失敗した事、未亡人・式部のガードの堅さがよく分かります。
ところが、その男は式部への想いを断ち切れなかったようで、年明けにまたもや式部に言い寄ってくるのです。
「門は開きましたか」
(喪は明けましたか)
と。式部は何と返したか。
「たが里の 春のたよりに鶯の 霞に閉づる 宿を訪ふらむ」
(鶯はどなたの春の里を訪れたついでに、霞の中に閉じ籠っているこの喪中の家を訪ねて来るのでしょうか)
との式部の返歌からは、男の試みが再び失敗したことが読み取れます。男は式部の心の扉を開くことができなかったのです。
式部の返歌に「鶯はどなたの春の里を訪れたついでに」云々とあることから、式部は男の軽薄さを感じ取っていたのでしょうか。式部を口説こうとしたこの男との歌の贈答は、その他にはありません。おそらく、式部の身持ちの堅さに男も諦めたのでしょう。もしくは、男はその後も誘いの歌を送ってきたが、式部がそれを拒否したとも考えられます。
式部に言い寄ってきた男は、九州で受領を務めた人物と考えられていますが、確かなことは分かりません。一説には藤原宣孝の息子・隆光とも言われていますが、それはどうでしょうか。仮にそうだったとしたら、さぞや式部は驚いたことでしょう。
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