まるでファンタジー!すごいものを斬った伝説をもつ刀5選

 名刀はその姿や造りの美しさだけではなく、当然のごとく「切れ味」が生命とされてきました。己の一身を託す重要な武器であった刀には、何物にも負けない強靭さと鋭さが求められたからです。そんな名刀には、凄まじい切れ味にまつわるエピソードを示すように、切断したものの名を「号」として冠する例がよくみられます。「石灯籠切り」や「鉄砲切り」などの器物、あるいは「岡田切り」や「真柄切り」等々、討ち取った武将の名などがそれにあたります。

 しかし、なかにはまるでファンタジーの世界のような、信じられないものを斬ったとされる伝説を持つ刀も少なくありません。本コラムでは、そんな「すごいもの斬り」な刀を5振り、紹介したいと思います。

蜘蛛の妖怪を斬った!「蜘蛛切(くもきり)」

 まずはこちら、「蜘蛛切」です。蜘蛛といっても、生き物のスパイダーではありません。なんと、蜘蛛の妖怪、つまり人外の化け物を退治したという伝説にまつわる刀なのです。

 これは酒呑童子討伐のエピソードで有名な平安時代中期の武将、「源頼光」が一時期所持していたと伝わる刀で、自身の熱病の原因となっていた蜘蛛の化け物を斬り伏せたことから付けられた号です。

『源頼光土蜘蛛ヲ切ル図』(月岡芳年 画)
『源頼光土蜘蛛ヲ切ル図』(月岡芳年 画)

 この刀は本来「膝丸」と呼ばれ、対の刀である「髭切」とともに源氏代々の宝刀として伝わったものとされています。

 膝丸はやがて蜘蛛切、吠丸(ほえまる)などと号を改め、やがて「薄緑(うすみどり)」と呼ばれた時期に源義経の愛刀となっていた伝説はとみに有名です。

 源氏の膝丸、と伝わる刀は幾振りかがあり、大覚寺所蔵の刀身長約81cmの「薄緑」がよく知られ、重要文化財に指定されています。

鬼を斬った!「鬼切丸(おにきりまる)」

 名刀の伝説として「鬼を斬った」という類のものは多いのですが、長い時を超えて二度、鬼退治をなしたというのが「鬼切丸」です。

 刀身長約84.4cmこの刀を最初に所持したのは、平安時代の征夷大将軍「坂上田村麻呂」とされ、「鈴鹿御前」という鬼女を討伐したと伝わっています。伊勢と近江の境にある鈴鹿山に住んでいたという鈴鹿御前は、単なる悪鬼ではなくある種の神的な要素をもった存在として語られています。

 伝説のひとつとして、やがて鈴鹿御前と田村麻呂は夫婦になり、三振りの剣を託したとされ、浄瑠璃などでもその物語が題材になっており、夫婦でともに鬼神退治をしたという話も…。

『東海道五十三対 土山(歌川国芳 画)』 坂上田村麻呂が清水観音の化身である鈴鹿御前の力を得て、悪鬼を打ち滅ぼした情景を描く。左より鈴鹿山の鬼神、鈴鹿御前、田村麻呂。
『東海道五十三対 土山(歌川国芳 画)』 坂上田村麻呂が清水観音の化身である鈴鹿御前の力を得て、悪鬼を打ち滅ぼした情景を描く。左より鈴鹿山の鬼神、鈴鹿御前、田村麻呂。

 田村麻呂は鬼切丸を伊勢神宮に奉納しましたが、その約二百年後に源頼光が夢告により伊勢神宮からこの刀を受け取り、配下の四天王・「渡辺綱」に貸与します。

 綱はこの刀で京の一条戻橋に出没する鬼女、いわゆる「宇治の橋姫」を退治したといいます。時を超え二度にわたって鬼を退けた鬼切丸は、やがて東北の最上家などの手を経て、現在は重要文化財として北野天満宮の所蔵となっています。

幽霊を斬った!「にっかり青江」

 あまりにも風変わりな号で知られる「にっかり青江」。刀身長約60.3㎝のいわゆる「大脇差」ですが、なんと「幽霊を斬った」という伝説をもっています。

 とても有名なエピソードですのでよく知られた刀ですが、「にっかり」とは幽霊が笑う様をあらわしたといい、号の由来はとても不気味です。讃岐京極氏が治めた丸亀藩の伝承で、領内に出没していた女の幽霊を斬ったところ、翌朝現場を確認すると石灯籠が両断されていた、というお話です。

 斬ったという武士には諸説あり、中島修理太夫・九理太夫兄弟、浅野長政の家臣・某氏、六角義賢の家臣・狛丹後守などの名が伝わっています。

 「京極に過ぎたるもの」とさえ狂歌に歌われたにっかり青江は、現在では重要美術品として丸亀市資料館が所蔵しています。

雷を斬った!「雷切丸(らいきりまる)」

 鬼や妖怪を斬ったという伝説は数あれど、これは「雷」という自然現象を斬ったとされる壮絶な刀です。

 刀身長約58.5cmの無銘脇差ではありますが、持ち主は生涯37度の戦を無敗で切り抜けたという武将、「立花道雪」です。

 元来、「千鳥」という号だったこの脇差は、道雪が落雷に打たれた時、雷神を斬ったために一命をとりとめたという伝説から「雷切」の名で呼ばれるようになったとされています。

 道雪が本当に落雷によって身体が不自由になったのかどうかは定かではないようですが、雷切丸の刀身には、実際に高温を受けて変色した痕跡が残されているといいます。

立花道雪の肖像画(福岡県柳川市福厳寺所蔵、出典:wikipedia)
立花道雪の肖像画(福岡県柳川市福厳寺所蔵、出典:wikipedia)

 道雪自身の無敗伝説ともあいまって、不撓不屈の精神を象徴する刀として大切にされたのでしょう。代々立花家の宝刀として伝承され、現在は立花家資料館の所蔵となっています。

ひとりでに妖怪を斬った!「祢々切丸(ねねきりまる)」

 最後の一振りは日光二荒山神社に伝わる、「祢々切丸」です。これは刀身長約216.7cmにもおよぶ長大な刀で、いわゆる「大太刀」にあたるものです。

 修験の霊山として知られる二荒山ですが、かつて日光の鳴虫山というところに、「祢々」と呼ばれる妖怪がいて人々を困らせていたといいます。すると、二荒山神社に安置されていたこの大太刀がひとりでに抜け出して、やがて妖怪・祢々を斬り伏せてしまったというのです。

 もはや遣い手すら存在しない、刀そのものの霊力を伝えるエピソードです。重要文化財として現在も二荒山神社が所蔵する祢々切丸は、宝物館で常設展示しており拝観することが可能です。

おわりに

 いずれもファンタジーのような伝説ばかりですが、現実の切れ味以上に目に見えないものからも守ってくれる、人知を超えた力を刀に託したことがうかがえますね。実際に目にする機会には、ぜひともそんな伝説に思いを馳せてみてください!


【主な参考文献】
  • 『歴史群像シリーズ【決定版】図説 日本刀大全Ⅱ 名刀・拵・刀装具総覧』歴史群像編集部編 2007 学習研究社
  • 『別冊歴史読本 歴史図鑑シリーズ 日本名刀大図鑑』本間 順治監修・佐藤 寒山編著・加島 進協力 1996 新人物往来社
  • 『原寸大で鑑賞する 伝説の日本刀』別冊宝島編集部 2018 宝島社

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  この記事を書いた人
帯刀コロク さん
古代史・戦国史・幕末史を得意とし、武道・武術の経験から刀剣解説や幕末の剣術についての考察記事を中心に執筆。 全国の史跡を訪ねることも多いため、歴史を題材にした旅行記事も書く。 「帯刀古禄」名義で歴史小説、「三條すずしろ」名義でWEB小説をそれぞれ執筆。 活動記録や記事を公開した「すずしろブログ」を ...

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