「腹が減っては天下は穫れぬ!」豊臣秀吉は何をどう食べてきたのか
- 2025/12/26
一方で魅力的・個性的な生き方から逆算して「何を食べたら、あんな風に生きられるのだろう」と興味が湧くことも少なくないでしょう。そこで今回は天下人・豊臣秀吉の食歴にフォーカスして、その一部を紹介したいと思います。
ドジョウを食べて、明るく元気に!
『名将言行録』によると、少年時代の秀吉は泥沼に入ってはドジョウを捕まえ、よく食べていました。ドジョウは現代でも栄養豊富な食材として知られていますが、中でも特筆すべきはトリプトファンという栄養素です。
トリプトファンとは必須アミノ酸の一種で、ビタミンB6との合成により、セロトニンへと変化します。俗に「幸せホルモン」とも呼ばれるとおり、セロトニンは高揚感や幸福感をもたらし、貧しい暮らしや戦乱の逆境にもめげないメンタルを養ったことでしょう。
最近ではあまり見かけない食材となりましたが、ドジョウ鍋などはとても美味しいので、機会があったら積極的に食べたいですね。
秀吉の活躍を支えた豆味噌
秀吉がトリプトファンをふんだんに摂取したのは、ドジョウからだけではありません。現代でも愛知県など東海地方で日常食として愛されている豆味噌もまた、秀吉はじめ尾張・三河の人々に活力を与えてくれたことでしょう。豆味噌とは麹(こうじ)を使わずに大豆と塩だけで発酵させた味噌で、現代でも「八丁味噌」と呼ばれています。筆者も食べてみたことがあり、一般的な味噌に比べて酸味と苦みが強いものの、慣れるとやみつきになりました。身体が温まって精力がつくため、秀吉の天下獲りにも大きく貢献したことでしょう。
大豆は「畑の肉」とも呼ばれるように栄養価にすぐれ、トリプトファンだけでなくビタミンB6も豊富に含んでいるため、単独でセロトニンを生み出す効果が期待できます。
さらには脳力を高めるレシチンや、疲労回復や免疫強化に効果のあるアルギニンなどを含有しており、豆味噌は秀吉のタフさを支える上で欠かせない食材でした。
そう言えば三英傑(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康)はいずれも尾張・三河の出身でした。やはり天下人と豆味噌は、切っても切れない関係にあるのでしょうか。
大勝負ではニンニクを丸かじり!
天正10年(1582)に主君・織田信長が京都・本能寺で明智光秀に謀殺された時(本能寺の変)、秀吉は中国地方で毛利勢と対峙していました。信長の訃報に接した秀吉は速やかに毛利勢と和睦し、大急ぎで京都まで駆け戻ります。6月6日から13日のたった7日間で光秀を撃破(山崎の合戦)し、織田家中における地位を確固たるものとしました。
後世に伝わる「中国大返し」の道中で、秀吉はどこから持って来たのか、ニンニクを首からぶら下げ、丸かじりしながら軍勢の指揮をとったと言います。口臭や胃荒れが凄まじいことになりそうですが、ここ一番の大勝負で、そんなことに構ってはいられなかったのでしょう。
現代でもニンニクは精がつく食品として知られていますが、ニンニクにはアリシンや硫化アリルが多く含まれています。
アリシンはニンニク特有の香りを生み出し、体力増進や疲労回復に効果的です。また硫化アリルはビタミンB1の吸収効率を高める効果があり、吸収されたビタミンB1がブドウ糖の燃焼を促進し、エネルギーを生み出してくれるのです。特にお米などと一緒にニンニクを摂取すれば、最大限の効果が期待できるでしょう。
それはそうと、秀吉の側近たちは主君の強烈な口臭に悩まされたかも知れませんね。
故郷の年貢はゴボウとダイコンに
かくして幾多の困難を乗り越え、天下人となった秀吉ですが、彼が食に対して感謝を忘れることは終生ありませんでした。身分相応に美食を楽しむことはあっても、やはり自分のルーツは百姓であり、故郷の土で育ったゴボウとダイコンの味を忘れまいとしたようです。
そこで秀吉は、故郷である尾張国中村の領民たちにお触れをだしました。
領民たちは「そんな軽い年貢でいいのか」と喜び、年々暮らしが豊かになりましたが、次第に恐縮してしまいます。
そこで領民たちは高価な名刀や駿馬などを買い求め、献上しました。すると、秀吉はいかに善意であろうと命令に背いたことを怒り、年貢の特例を取りやめにしたそうです。
ゴボウは食物繊維が豊富で疲労回復に効果があり、ダイコンは風邪の予防などに効果が期待されます。秀吉が意識していたかどうかはともかく、身体が欲する栄養を自然と求めていたのかも知れませんね。
この世で一番美味いものは?
天下を掌中に収め、望むものは何であろうと口にできぬことはなくなった秀吉ですが、彼が一番美味いと思った食べ物は、実にシンプルでした。秀吉がまだ幼いころ、叔母の家へ使いに出された時のことです。秀吉は日頃の貧しさに加え、この日はことさら腹が減っていました。叔母の家に着いた秀吉は、もうフラフラだったことでしょう。そんな秀吉に、叔母はそう裕福でもない中から、麦飯を振る舞ってくれたのです。
米なんてほとんど入っていないパサパサの麦飯に、喉を通るよう水をぶっかけて掻き込みました。するとまぁ何と美味いこと美味いこと……噛めば噛むほど、麦の旨みと甘みが口中に染みわたったことでしょう。
腹が減った時に食べるものほど、美味く感じるものはありません。今は天下を獲って、何でも思いのままに食べることができても、あの時の麦飯には及ばない。秀吉はそう語ったのでした。
遠い思い出だから美化している節はあるでしょうが、当時の感動を大切にしておきたい秀吉の気持ちは十分に理解できます。
終わりに
今回は天下人・豊臣秀吉の食歴について、その一部を紹介してきました。ドジョウ・豆味噌・ニンニク・ゴボウ・ダイコン・麦飯……どれもシンプルですが、シンプルだからこそ自然の恩恵を強く受け、それを天下獲りの力に変えられたのではないでしょうか。
現代の私たちも、自然の恵みに感謝しながら食事をいただくことで、明るく元気に生きていきたいものですね。
【参考文献】
- 永山久夫『武将メシ』(宝島社 2013年)
- 黒澤はゆま『戦国、まずい飯』(集英社 2020年)
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