”ずいずいずっころばしごまみそずい” この歌の意味とは?
- 2023/09/01
意味不明となると、何かの暗号のように思えてくることもあるかもしれません。こういった童謡は江戸時代か、それ以前に作られたものらしく、作詞者はもちろん作曲者も分かりません。いつのまにか流行っていたのです。
実はこの「流行っていた」というのが現代まで伝えられている理由だと思われます。これらの童謡はリズミカルで歌詞が、それにうまく乗っているので、覚えやすく親しみやすくもあるのです。
とはいえ、意味が分からないのは少し悔しくもあります。そこで今回はこの歌の歌詞の意味を探ってみることにしました。
歌詞全文と通説
まず、あらためて歌詞の全てをおさらいしてみましょう。茶壺に追われてとっぴんしゃん
抜けたら、どんどこしょ
俵のねずみが米食ってちゅう、ちゅうちゅうちゅう
おっとさんがよんでも、おっかさんがよんでも、行きっこなしよ
井戸のまわりで、お茶碗欠いたのだぁれ
この歌詞の中で最も目に止まるのは「茶壺に追われて」という部分です。
ご存じの方も多いと思いますが、江戸時代には京都、宇治から徳川将軍家に「御茶献上」というものが行なわれており、宇治から江戸まで「献上茶」を茶壺に入れて運びました。これを「御茶道中」と言います。
この御茶道中は、えらく権威が高く、いわゆる「御三家」(尾張、紀伊、水戸)を預かる徳川将軍に列する家柄の大名行列であっても、「御茶道中」には道を譲らなければならない、というほどのものでした。普通の大名行列はもちろん、お茶壺が通るときは全ての人が平伏して通過を待たねばならなかったのです。
御茶道中には、いわゆる茶坊主が同行していましたが、茶坊主というのは江戸城内にあっては、大した役柄ではありません。しかし御茶道中の時には「茶壺の権威」をかさに、普段のストレス発散とばかりに威張り散らしたことで知られています。
「お茶壺様に対し、なんたる無礼か!」と言えば、御三家でも頭を下げざるを得ないのですから、気分が良い訳です。このため、通過される藩としては言いがかりを怖れて「酒肴料」という名目の袖の下を渡してご機嫌を取ったと言われています。
御茶道中が通過する街道沿いの百姓家などは「御茶壺が来る」と、とにかく関わり合いを避けるために、御茶道中が通る際は家の中にこもり、静かにして通過を待つ、という安全策を講じました。そうした観点から、この歌詞を解釈するのが「通説」となっています。
以下、通説に従って現代語訳してみましょう。
胡麻味噌を摩っていると、お茶壺道中が来ると言うので、家の中に入って戸をピシャリと閉めて(=トッピンシャン)やり過ごす。そしてお茶壺道中が通り過ぎると、やっと一息ついた(=ぬけたらドンドコショ)。この間に俵から米を取り出し、食べていた鼠が驚いてチュウと鳴いた、喉がかわいた子供達が井戸に集り、争って水を飲んだのでお茶碗を割ってしまった。
まぁ、そうだと言われて見れば「そうかな」と思われるかもしれません。少々、重箱の隅を突いてみますと「おっとさんがよんでも、おっかさんがよんでも、行きっこなしよ」はどこに行ったの? という疑問はありますが、概ね理解はできると思います。
しかし、これはあくまで「通説の中の1つ」です。実は通説にも色々な説が存在するのですが、概ね上記の内容と大同小異と言って良いものばかりです。
西沢爽氏の述べる「通説」
作詞家であった西沢爽氏は「ずいずいずっころばし私考」という論文の中で、この歌の歌詞は通説として以下のように解釈されている、と述べています。「お茶壺のお通りだというので、沿道で遊んでいた子供たちは、慌てて家や物陰に逃げ込んだ。この騒ぎに俵の米を食っていた鼠まで驚いてチューと鳴いた。一行が通り過ぎるまで父や母に呼ばれてもじっと隠れていろ。井戸の後ろに隠れて、お茶碗を割って音を立てたのは誰だ」
なんとなくですが、こちらの方が先に挙げた「通説」より歌詞に沿っているような気もします。「ずいずいずっころばしごまみそずい」はどこにいったの? という疑問は残りますが、当時、そのように呼ばれている「遊び」があったと考えれば辻褄は合います。
しかし西沢氏は、この解釈をあくまで「通説」として紹介しており、論文では「実際には御茶壺道中がいつ、自分達の家の近くを通るかは事前に分かっていたはずだから、そんなタイミングで沿道で遊んでいる子供がいるはずがない」と反論しています。
まぁ、それはそうかもしれません。
西沢爽氏の異論 性戯を表したものであるとする説
これは西沢氏が「私考」として発表している説です。西沢氏によると、大阪の郷土史家・方言研究家である牧村史陽氏の指摘として「狂歌のむめ・自縁斎梅好」という史料の5巻に「子供が5人、お尻をまくり合っている絵に添えて由来が記載されている」としています。江戸のわらべ歌には「子供の性の遊び」に関わるものが非常に多いとして、いくつか例を挙げられており、この歌もその1つであるというのです。
ではどう解釈したら、「子供の性の遊び」となるのでしょうか? 以下、西沢氏による解釈を列挙してみましょう。
ずいずいずっころばし
→ ついついころばし、が訛化したものである。江戸時代には夜鷹と呼ばれる、僅かな金銭で売春をしていた娼婦がおり、これを別名「蹴っころばし」と呼んだ。つまり「手近にいて簡単に性行為が出来る相手」を意味している。ごまみそずい
→ こまいしょつい、が訛化したものである。夜鷹に声をかける時に使われた言葉である。つまり近くの女の子に「性行為をしようと声をかけた」の意味。茶壺に追われてとっぴんしゃん
→ 元々は「茶壺に」ではなく「茶壺が」と思われる。当時のおいらんの評として「お茶のあたり、ふくらかに」という表現があり、茶壺が女陰を表していることは明白である。「とっぴ」とは「どっと騒ぐ」という意味の江戸言葉で「しゃん」は口拍子と思われる。つまり、子どもが集団で尻まくりごっこをしていたら、一部の男の子が混じっていた女の子を追いかけだして、どっと騒ぎになった、という意味。抜けたら、どんどこしょ
→ 女の子がいなくなったら、どうしましょう、と言う意味か。俵のねずみが
→ 俵は意味不明。ねずみは夜這いのことを「鼠づれ」と言ったり、夫婦が相談づくで売春をすることを「相鼠」といっており、性行為をしようとする当事者を表す言葉と理解できる。米食ってちゅう
→ 米ではなく「こめ」である。「込めをくう」という表現は江戸の洒落本では、良く出て来るもので「女性が性行為をさせられる」という意味であり、「ちゅう」は一種の悲鳴である。ちゅうちゅうちゅう
→ 何回も悲鳴を上げていることを表す。おっとさんがよんでも、おっかさんがよんでも、行きっこなしよ
→ 「行きっこなしよ」ではなく「言いっこなしよ」である。当然ながら親に言ってはならない、という意味。井戸のまわりで
→ 上方では尻のことを「おいど」と呼ぶのは今でも行われている表現である。つまり「お尻の近くで」という意味。お茶碗欠いたのだぁれ
→ 「江戸秘語辞典」によると「お茶碗」とは「無毛の女陰」のことである。 「欠いた」は「かいた」であり男女の情交を表す。つまり「女の子と情交したのは誰だ」という意味以上ですが、西沢氏も「牽強付会である、とのご批判もあろうが」と述べており、自分自身で「無理やりな解釈であると言われても仕方ない」と述べたうえで「されとて御茶壺道中の歌として証明されている訳でもないし、この遊びにおいて握りこぶしの穴を指で突くしぐさの意味を御茶壺道中で説明できる訳でもない」として「あくまで仮説である」としたうえで、元は遊郭で歌われていた戯れ歌だったのではないか、とも述べておられます。
おわりに
結局のところ「茶壺」を「御茶壺道中」と取るか、「女陰」と取るか、で意見が分れる訳ですが、どちらが正しいのかを証明することは、もはや不可能であることだけは確実でしょう。そもそも「どちらも正しくない」という可能性もあるのです。「歌」というものは、歌詞とメロディーが、うまく噛み合って耳触りが良ければ、それで良いのです。一例として日本でパフィーというデュオが「アジアの純真」という曲を出したことがあります。この曲は大ヒットしミリオンセラーとなり、現在でもパフィーの代表曲となっていますが、歌詞の内容は「無意味に単語を並べただけ」であり、全体としては全く意味を持ちません。
200年、300年という月日が流れ、もう誰もが忘れた頃に「アジアの純真」という曲が発掘され、その歌詞の不思議さに「意味を解明しよう」とする試みが行われたとしたら現代に生きる私達は、その無意味さを知っているので「それ、意味ないから無駄だよ」と言うでしょう。実は「ずいずいずっころばし」もそうなのかもしれません。実際にそういいう意見もあり、無意味に単語を並べただけ、と言う説もあるのです。
現代に生きる私達から見ると江戸時代というのは「異世界」であり「異文化」です。そして、同時代の文化を真に理解できるのは「その時代に生きていた人だけ」なのです。この事実は歴史というものを考える中で非常に重要です。私達は、つい現代感覚で過去を理解しようとしますが、それには常に危険が伴っている、ということを、この事実は示しているのです。
【主な参考文献】
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