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意外と知らない?名古屋城のシャチホコの秘密

 名古屋城のシンボルと言えば、天守閣にかがやく金の鯱。他府県の観光客からするとぜひ見てみたい観光スポットのひとつでもあり、名古屋の人々からすれば守り神的な存在かもしれません。

 しかしシャチホコってそもそも何?金色には何か意味があるのでしょうか?今回はシャチホコの秘密について詳しくみていきます。

シャチホコの意味とは?

 城の天守などにある屋根の装飾の一つ、「シャチホコ」。これは鯱(しゃち)が鉾のように飾られているという意味で名付けられたものです。

 見ての通り、鯱は実在する生き物ではありません。鯱の頭は龍や虎であり、胴体はわかりやすく魚、そして尾が天を向いています。シャチホコが屋根に飾られているのは、シャチホコが持つ伝説から。シャチホコは、なんと建物が火事になると消火する能力がある(口から水を出してくれる)というのです。そのため屋根の上に乗っていて、永年火を除ける守り神としてされてきました。

日本が誇る名古屋城のシャチホコ

名古屋城のシャチホコの特徴

 名古屋城のシャチホコはなんといっても金色が特徴。シャチホコの中でも金を塗装するなどされているものは「金鯱(きんしゃち)」「金のシャチホコ」とも呼ばれています。

 名古屋城の金鯱はオスとメスの対になっています。雄は北側、雌は南側。シャチホコについている金の鱗は雌の方が量が多く、豪華だといいます。

戦国時代に訪れたシャチホコブーム

 シャチホコはもともと寺社などの屋根の上につけられていた守り神でした。そんなシャチホコを天守閣など城の建築に取り入れたのは、織田信長だと言われています。

 実際に安土城の城跡からはシャチホコと思われる破片も見つかっているそう。そしてそれを見ていた豊臣秀吉が大阪城を作った際、天守閣に金鯱を取り付けて権威を示したといいます。シャチホコのブームはこの頃に全国に広まっていったようです。

 名古屋城が作られた際にもこういった背景があったのかもしれませんね。

名古屋城のシャチホコの歴史

 名古屋城の天守閣が完成したのは慶長17年(1612)のこと。徳川家の権威を示すため、豪華な金鯱が載せられました。

 江戸時代からとても有名だったこの金のシャチホコですが、尾張藩が財政難になると金鯱の「金」があてにされてしまい、使うために何度か降ろされてしまいます。

 明治時代以降、金鯱は文化的価値があると再認識され、博覧会を回るなど様々な場所で展示されることになり、度々天守閣から降りて博覧会を巡りました。

 しかし、名古屋城に戻っていた昭和20年(1945)5月、名古屋が空襲にあった際に天守閣と一緒に焼失してしまいました。その後、資料をもとに復元され、現在は輝く金鯱が天守閣に設置されています。

名古屋城のシャチホコは人々を救ってきた

 金鯱はかつて藩が危機に陥った際に何度か降ろされたりと、藩や人々を救ってきたことがあります。有名だったことから、「観光名所」として人々を引き寄せる役割も担ってきました。

 金鯱がいることによって助かったという人々は多かったのかもしれません。実際に火災から人々を守っていたのかも?とも言われています。そんな長きにわたってシンボルであった金鯱だからこそ、人々を魅了するのかもしれませんね。

名古屋城のシャチホコを間近で見るには

 名古屋城のシャチホコは、実は大天守にある金鯱だけではありません。空襲を免れた銅鯱もあり、また天守閣の焼け跡からかけらを拾い集められた金鯱の鱗などは大事に保存されています。

 名古屋城にある西の丸御蔵城宝館では、それらのシャチホコを実際に見ることができるんです。実物はどのくらいの大きさなのか?鱗などはどんな感じ?など、間近で見るからこそわかることもあるかもしれません。気になる方は足を運んでみてはいかがでしょうか。

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  この記事を書いた人
ゆかた さん

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