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異界につながる橋「一条戻り橋」の歴史と由来

 「一条戻り橋」は京都市上京区1条通りにある橋の一つです。橋の一つとはいっても、長い歴史と様々な逸話が残る不思議なところ。昔から「あの世この世の境界」ともいわれていて、橋占いが行われる場所としても有名なんですよ。

 この橋にまつわる話に加え、数々の伝説についてもご案内いたします。

一条戻り橋

 「一条戻り橋」とは、京都市の北側を走る一条通を流れる堀川に架けられた橋の名前です。古くから、あの世とこの世をつなぐ橋として知られる「一条戻り橋」。平安時代から何度も作り直されている、長さ8mほどの短い橋なのですが、現在でも当時のままの位置に架かっているんです。

 単に「戻り橋」と呼ばれることもある「一条戻り橋」。今なお地元の人たちの間では、「怖い橋」としての認識が浸透しています。そして数々の伝説や逸話も残されている橋でもあり、詳しくご紹介していきます。

一条戻り橋の歴史

 「一条戻り橋」は、平安京が造られる形作際に掛けられた橋です。もともとは「土御門橋(つちみかどばし)」と呼ばれていた橋。その場所は当時の都の北東、つまりは鬼門にあたります。平安京の端の出入り口となり、死者はこの橋を渡って墓地に向かいました。それ故に、あの世とこの世をつなぐ橋と言われたのです。

 「一条戻り橋」が「戻橋路」の名で初めて文献に登場したのは、998年に藤原行成が書いた日記の『権記(ごんき)』です。その後何度か修復され、現在私たちが見られる橋は平成7年(1995)に架け直されたものとなります。

あの世とこの世の境界線

 そもそも川や井戸同様に、橋もあの世とこの世の境界と考えられてきました。中世の人々は、橋を渡った向こう側が「異界」で、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)していると信じていたのです。

 かつての一条通りは、二つの川の合流地点でした。水の流れがぶつかり合い、泡から異界のものが出てくるとも考えられていたのです。

 能の舞台には、橋掛り(はしがかり)と呼ばれる長い廊下が造られています。この橋掛かりを通って、シテと呼ばれる主人公が揚幕から本舞台へと現れては消えていきます。つまりは能の世界においても、橋掛りは亡霊の通り道となっているのです。

死者も蘇る橋

 もとは「土御門橋」と呼ばれていたと記載しましたが、「一条戻り橋」と呼ばれるようになった由来をご存じですか?13世紀頃にまとめられた説話集である『撰集抄(せんじゅうしょう)』には、次のような話が記されています。

 平安時代、浄蔵(じょうぞう)という修験道を極めた僧がいました。菅原道真の怨霊を鎮めたり、八坂の塔の歪みを直したりしたことでも有名です。延喜18年(918)のこと、紀州熊野で修行中だった浄蔵のもとに父の危篤が知らされました。急いで浄蔵は父のもとに向かいますが、「一条戻り橋」で父の葬列に出会うことになりました。

 父の臨終に間に合わなかった浄蔵は嘆き、棺に取りすがって祈りました。その時、突如雷鳴が鳴り響き、父が息を吹き返したのです。息を吹き返したのは一時的なことですが、父子は再会を果たすことが出来たのです。

一条戻り橋にまつわる伝説

 「一条戻り橋」には様々な伝説が残る、言わばミステリースポットです。例えばどのような伝説が語り継がれているのでしょうか。

伝説1:安倍晴明の式神

 「一条戻り橋」を語るうえで外すことができないのが安倍晴明です。十二天将と呼ばれる式神を操っていた安倍晴明は、術を使わない間は式神を屋敷に近い「一条戻り橋」の下に隠していました。晴明の屋敷跡は、「一条戻り橋」ほど近い現在の「晴明神社」になります。神社には橋のミニチュアがあり、この橋の欄干にはもともと実際に「戻り橋」で使われていた欄干の柱が使われ、橋のたもとには式神の像が建っています。

伝説2:橋占の童子たち

 『源平盛衰記』において、建礼門院が安徳天皇を出産する際に母の二位殿が、「一条戻り橋」で橋占を行ったとあります。この時、12人の童子が手を打ち鳴らしながら、西から東へと歌いながら橋を渡ったそうです。この歌の内容が皇子の将来を予言していたそうですが、この童子は安倍の晴明の式神たちだったといわれています。

伝説3:茨木童子と渡辺綱の戦い

 渡辺綱は源頼光の使者として一条大宮に出掛けます。その夜、「一条戻り橋」の東の橋詰で一人の美しい女に出会うのです。雨で困っていた女を馬に乗せて、五条まで送ることにした渡辺綱でしたが、橋の上で水鏡に写った女の姿は鬼女だったのです。慌てて振り返った渡辺綱に、茨木童子という鬼は綱の首を掴んで連れて行こうしました。その瞬間、綱は刀で鬼の腕を切り落としたのです。すると茨木童子は、7日の間に取り返しにいくと告げて去っていきました。

 そこで安倍晴明に相談した渡辺綱。晴明は7日間家に閉じこもり、誰一人家の中に入れないようにと言います。綱は晴明の指示通り、鬼の腕を箱にしまい、家で謹慎したのです。そして7日目の夜、年老いた義母が大阪から訪ねてきます。綱は事情を話し門を閉ざすのですが、大阪からやってきた義母を突き返すこともできず、家に入れてしまいました。綱の話を聞いた義母は「鬼の腕が見たい」といいます。拒み続けた綱でしたが、最後はちょっとだけということで…。その時、養母に化けていた鬼の茨木童子が片腕を取り戻し、暗闇に飛んで逃げ去ってしまったそうです。

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  この記事を書いた人
五百井飛鳥 さん
聖徳太子に縁のある一族の末裔とか。ベトナムのホーチミンに移住して早10年。現在、愛犬コロンと二人ぼっちライフをエンジョイ中。本業だった建築設計から離れ、現在ライター&ガイド業でなんとか生活中。10年以上前に男性から女性に移行し、そして今は自分という性別で生きてます。ベトナムに来てから自律神経異常もき ...

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