日本人と蚊との長い戦い!蚊よけの歴史

蚊よけのイメージイラスト
蚊よけのイメージイラスト
文明が発達した現代においても、人を刺す虫は相変わらず厄介な存在です。特に夏場になると、自然を求めてアウトドアに出かけた先、あるいは近所の庭木の影などに、蜂やアブ、蚊などの虫が潜んでいます。そのような虫に刺されると痛みやかゆみがあるのみならず、病気を媒介することもあるので、人類は古くから防虫対策を考えていました。

今回は人を刺す虫の中でも最も身近な存在である「蚊」を取り上げます。日本史に見られる蚊との戦いをみていきましょう。

奈良時代からあった?蚊帳

まず取り上げるのは「蚊帳(かや)」です。

蚊帳は、目が細かい網のようなもので、蚊帳を部屋に吊り就寝時などに中に入ることで、蚊を物理的に遠ざける道具です。

蚊帳に似た道具は紀元前からあり、一説によるとクレオパトラも似たようなものを使っていたとの事。日本には奈良時代、中国から蚊帳制作の技術者が来たことで伝わったとされ、『日本書紀』に「蚊屋衣縫」という役職が見られます。

当時は生絹を使って蚊帳を縫っていたらしく、かなりの高級品。平安時代でも帝などごく限られた人物しか利用できませんでした。

たとえば清少納言は中宮定子に仕える女房でしたが、蚊帳は利用できなかったようです。彼女は『枕草子』に「にくきもの」として蚊の羽音を書いています。曰く、

「ねぶたしと思ひて臥したるに、蚊の細声にわびしげに名のりて、顔のほどに飛びありく。羽風さへ、その身のほどにあるこそ、いとにくけれ。」
寝ようと思った時に蚊に起こされるのが憎らしいとのことですね。蚊に安眠を妨害されるのは、1000年前からの「あるある」でした。

庶民まで蚊帳が使えるようになったのは、世の中が落ち着いて産業が発達した江戸時代からでした。蚊帳は近江国の特産で、芭蕉も「近江蚊屋汗やさざ波夜の床」と俳句に詠んでいます。

蚊帳は網の四隅にある環に紐を通し、部屋の四隅に張って使います。最初は上方に四角形の竹枠があり、枠を天井から釣ってセットしました。色も初期は白でしたが、現在は萌黄色です。江戸時代には紙製でお洒落な絵を描いた蚊帳も登場しました。

蚊帳は現在も赤ちゃん用など、殺虫剤を使いにくい場面での防虫に役立っています。

こちらも古くからあった?蚊いぶし

高級品の蚊帳に対し、比較的手軽な方法は「蚊いぶし」です。

蚊いぶしは、名前の通り蚊をいぶしだす方法です。玄関前や庭先など、蚊が侵入しそうなところに小さな焚火をこしらえ、煙をモクモク焚くことで蚊の侵入を防ぎました。

焚火の材料には、橙や杉、松、ヒノキといった香りがある植物を用いることもありましたが、手近にない場合はワラやその辺の草などを燃やして済ますこともありました。この方法は簡単にでき、費用もあまりかからないので一般に長く利用されました。

煙で追い払う蚊いぶしの様子(『江戸府内絵本風俗往来』より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
煙で追い払う蚊いぶしの様子(『江戸府内絵本風俗往来』より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)

蚊いぶしは別名「蚊遣り(かやり)」とも呼ばれました。古くは『徒然草』に

「六月のころ、あやしき家に夕顔の白く見えて、蚊遣火ふすぶるもあはれなり
(6月の頃、あばら家に白い夕顔が見えて、蚊遣りの煙がくすぶるのは情緒がある)」
と、趣ある夏の風物詩として文学先品に見られます。近代になっても、樋口一葉や田山花袋など明治時代の文学作品にまで登場し、蚊帳が普及した後も併用して使っていました。

一方で、蚊いぶしは危険な駆除方法でもありました。火を焚くため、放っておくと家に燃え移って火事になる可能性がありました。落語「夏泥」では、ある夏の日、長屋に侵入した泥棒が、蚊いぶしの火が延焼しそうになっている家に危険を知らせに入るところから話がはじまります。現代以上に木造建築が多く、密集して暮らしていた大都市では、危険と隣り合わせの駆除方法でした。

それでも、他に庶民が使える駆除方法がなかったので、蚊いぶしは長く使われました。

明治時代以降の蚊取り線香

蚊いぶしは手軽で虫よけ効果もありましたが、火事の危険性が高い手段でもありました。それしかなかった所に、明治時代、「蚊取り線香」が登場して爆発的に普及しました。

蚊取り線香は、特殊な薬剤を混ぜた線香で、その煙に蚊が触れるとしだいに弱って死に至るという商品です。蚊いぶしほど火をモクモク焚く必要がなく、火事になることも少ないので、現在に至るまで日本の夏の風物詩になっています。

蚊取り線香の原材料は「除虫菊(じょちゅうぎく)」という、中央アジア原産の花です。名前の通り虫よけ効果があるとの事で、大陸では古くから使われていました。

日本に輸入されたのは明治20年代です。最初は蚊取り用ではなく、ノミ取り用の薬として乾燥させた粉が入ってきました。間もなく除虫菊の国産化が進み、粉末が大量に手に入るように。そうすると、独特な香りがするので、虫よけとして焚いてみる人もでてきました。そうすると、偶然にも、除虫菊を焚いた煙に触れた蚊が死ぬことが判明。しだいに本来の用途ではなく、蚊いぶしの用途として使われるようになりました。

その除虫菊を練り込んだ線香が出来たのは、明治23(1890)年のことです。開発したのは、金鳥の創業者・上山英一郎で、和歌山県で除虫菊国産化にも一役買った人物でした。

蚊取り線香は当初棒状で、持続時間も1時間ほど。効果は高かったのですが、蚊を防ぎきるには持続時間が短すぎました。そこで、妻の「渦巻き形にしたら長持ちするのでは?」というアドバイスを得て、明治28(1895)年に現在見られる渦巻き形の蚊取り線香ができました。

コラム:蚊取り豚はいつ生まれた?

蚊取り線香の相棒ともいえる陶器の豚、通称「蚊遣り豚」は日本の夏の風物詩です。この豚の誕生は、蚊取り線香より後のように思われるものの、それより古くからあるという説もあります。

それは文字通りの「蚊遣り豚」で、蚊いぶし(蚊遣り)をやる用の焚火台のような豚型の陶器です。この器は新宿で出土したもので、江戸時代に使われたと考えられています。

現代にも残る、蚊取り線香を入れる豚が誕生したのは、蚊取り線香の誕生後のこと。昭和20年代にかけて、養豚場で蚊取り線香を使う時に用いていた土管を改良し、お土産用に可愛く造形したのが最初と言われています。

なお蚊取り線香用の豚と、出土した豚陶器との間の関連はまだ分かっていないそうです。日本の夏を彩る愛らしい姿も、実は謎に満ち溢れた存在なのです。

おわりに

今回は人類と虫の長い戦いのうち、蚊に関するものを主に取り上げました。

昔から血を吸ったり、羽音がうるさかったりで人々に嫌われていた虫ですが、1000年もの昔から対策が行われていたのを逆に考えると、それだけ長い縁がある虫とも言えます。もっとも、あまり有難くない縁かもしれませんが。


【主な参考文献】
  • 町田忍『蚊遣り豚の謎』(新潮社、2001年)
  • 吉村昭『事物はじまりの物語』(筑摩書房、2005年)
  • 秋山忠彌『ヴィジュアル<もの>と日本人の文化誌』(雄山閣、1997年)

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  この記事を書いた人
桜ぴょん吉 さん
東京大学大学院出身、在野の日本中世史研究者。文化史、特に公家の有職故実や公武関係にくわしい。 公家日記や故実書、絵巻物を見てきたことをいかし、『戦国ヒストリー』では主に室町・戦国期の暮らしや文化に関する項目を担当。 好きな人物は近衛前久。日本美術刀剣保存協会会員。

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