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奈良の「頭塔(ずとう)」はまさに日本のピラミッド
- 2024/07/02
「頭塔(ずとう)」は、石を積み上げた階段状のピラミッドで、ほぼ正方形の形をした遺構です。古代日本にもピラミッドがあったのでしょうか。奈良公園近くにある「頭塔(ずとう)」。神社仏閣が多い中、なんとも言えぬ異質な存在感を放つ遺跡なんです。
寺院建築には見えない独特な形状に武骨な石垣と瓦屋根。不思議な魅力に溢れたピラミッドは、まさに一見の価値があります。
寺院建築には見えない独特な形状に武骨な石垣と瓦屋根。不思議な魅力に溢れたピラミッドは、まさに一見の価値があります。
日本のピラミッド
ピラミッド。それはエジプトや中南米だけに存在している訳ではありません。あまり知られてはいないのですが、日本でもいくつのピラミッドが見つかっているんですよ。2014年、明日香村の都塚古墳において階段状に石を積み上げたピラミッド状の遺構が見つかりました。一辺約40mのほぼ正方形に造られた遺構は、古代日本にピラミッドがあったと、当時では少々話題にもなったんですよ。
しかし奈良には、同様のピラミッドともいえる「頭塔」と呼ばれる遺構があるんです。普段は施錠されていますので、直後現地に行っても見学することはできません。ただ、この「頭塔」を管理しているのが民間の方ですので、連絡をしておけば開けてもらうことができます。現在、仲村表具店さんとホテルウェルネス飛鳥路さんが管理者になっておられますので、当日受付も可能だそうです。見学を希望される方は、一応事前に調べておきましょう。
東大寺南大門から南に約1kmのところにある「頭塔」、1986年から続く発掘調査によって、その姿もだいぶ明らかになってきています。
頭塔の由来
奈良時代の高僧で、玄昉(げんぼう)という人物がいます。遣唐使にもなった僧で、聖武天皇の母親の病気を治癒したことから、朝廷内で信任を得ましたが、その後に失脚して九州の太宰府に左遷されてしまいます。ところがそこで待っていたのは、藤原広嗣の怨霊でした。藤原広嗣は玄昉に造反したために処刑された人物です。その怨霊の祟りで玄昉は死亡し、首だけが大きく飛ばされてしまいます。そして玄昉の首が落ちたのが、奈良の頭塔だったのです。もちろん、伝承にすぎない話だと思うのですが…。
とはいってもこの場所は、遥か昔から「頭塔の森」として知られていたのも間違いのないところ。今でも南側に広がる森は、「頭塔の森」として地元のみなさんに親しまれてきいて、昔から変わらぬ姿を残しています。
奈良時代の築
今でこそ貴重な史蹟としてきちんと管理がされていますが、昔はまだ木々に覆われ、土に埋もれていました。その頃は、近所の子どもたちの遊び場になっていたそうです。住宅地のすぐそばにこのような史蹟があるというのは、やはり歴史の深い奈良ならではなのでしょう。「頭塔」は、一辺が32mの正方形で高さ10m、7段が重なる階段状石積からなっています。そして奇数段となる四面には、一部線彫りですが浮彫となった石仏が配置されているんですよ。更に塔内部には、ひとまわり小さい「頭塔」があることも判明しています。
住宅地のど真ん中
史蹟には、「頭塔」についての案内板が設置されていて、発掘から整備に至るまでの流れが写真と一緒にわかりやすく解説されています。発掘調査を行う前の写真を見ると、何の変哲もない小さな裏山で、よく遺跡があると分かったと感心してしまうほどです。ただ石仏についてのみは、発掘前から近隣住民のみなさんは気付いていたようですが、民家が密集する住宅地の真ん中にある茂みの中で、まさかピラミッドもどきの遺跡があったなんて驚いたことでしょう。
屋根瓦の謎
「頭塔」では石仏の上に屋根瓦が乗っています。直射日光や風雨から石仏を守るためとされていますが、実はどのような目的で使われていたのかは、資料も少なく諸説入り乱れて結論は出ていません。現在復元されてはいるのですが、正しい屋根瓦の葺き方かどうか定かではないのですよね。まだまだこれから、いろいろなパターンが発表されるかもしれませんね。ちなみに大阪の堺にも、同年代に築かれたピラミッド形の土塔が存在しています。一辺が53.1m・高さ8.6m以上の13重の塔になっていて、各層ごとに瓦が使われていたことも判明しています。奈良の「頭塔」との関連性も気になるところですね。
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