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満州・まぼろしの観光案内

 みなさんは「手軽な海外旅行」というと、どんな国を思い浮かべますか? 台湾や韓国といった近隣の国々や、南国リゾートのハワイやグアムなど、今ではさまざまな国へ気軽に行くことができます。

 しかし、今から80年以上前、日本人の手軽な「海外」のひとつに植民地・満州がありました。たった数十年しか存在しなかった満洲国ですが、当時は多種多様な観光スポットがあったのです。

そもそも「満州」とはなにか

 「満州」とは、戦前に日本が侵略し、統治を行っていた中国東北部の総称です。ラストエンペラー・溥儀(ふぎ 1906〜1967年)を傀儡(かいらい)皇帝として、実際の政治は日本の軍部が行っていました。

 日本政府は入植者をつのり、新しい土地に希望を求めた人々が満州に住み着きます。そして、満州に住む日本人の慰安や、内地(日本)からの観光客のため、さまざまな観光施設が作られました。

海水浴場から温泉まで

 当時の満州では、海沿いにはリゾート、山間部にはスキー場が開発され、さらには温泉地まで整備されていました。

海辺のリゾート・星ケ浦

 大連など、満州の沿岸部では海水浴を楽しむことができました。なかでも「星ケ浦」は、大連から一時間ほどで行ける手軽な海辺のリゾートでした。

 当時、星ケ浦には、近代的なホテルが立ち並び、海水浴のほか、テニスコートやゴルフ場などのレジャー施設が完備されていました。訪れた人によると、「こんな素晴らしいところは内地(日本)にもない」と思ったそうです。

満州三大温泉地

 満州には古くから温泉施設があり、特に湯崗子(とうこうし)、熊岳城(ゆうかくじょう)、五龍背(ごりゅうはい)は「満州三大温泉」に数えられ、多くの観光客が訪れました。

 温泉地にはモダンな宿泊施設のほか、温水プールや砂風呂、ビリヤード場などの遊戯施設も充実していました。それは、現代の温泉観光と変わらない、もしかしたら、現代の温泉以上かもしれません。

 また、こうした温泉場は傷痍軍人の治療としての側面もありました。日本人はどこへいっても温泉を好むようで、同じく植民地だった台湾にも統治時代に開発された温泉地が残っています。

特急あじあ号

 南満州鉄道(満鉄)は、鉄道運営だけでなく、ヤマトホテルの経営なども行っており、現在でいうところの多角化企業でした。

 満鉄は、満州の各都市を結ぶ超特急列車「あじあ号」を開発。その最高速度は新幹線「こだま」に匹敵しました。車内には冷暖房が完備され、温水を提供するなど、最新鋭の設備が施されていました。食堂車ではヤマトホテルのシェフが料理を提供し、ラウンジや展望室など、まさに「走るホテル」でした。

特急「あじあ」(出典:wikipedia)
特急「あじあ」(出典:wikipedia)

満州・夜の娯楽

 満州では「夜の観光」も盛んでした。大連、奉天、哈爾浜(ハルビン)といった満州の大都市には、キャバレーやクラブといった大人の社交場も多かったのです。夜の街につとめる女性たちも多種多様でした。キャバレーでは日本人だけでなく中国やロシアの女性たちが働いていました。

 また、満州には芸者さんたちも数多く移住しました。日本と同じく満州にも置屋(おきや)や料亭があり、彼女たちはそこで、日本と変わらない歌や踊りを披露していたそうです。

まとめ

 私は以前、とある旧家で一枚の切符を見せていただきました。それが「日本から大連までの片道切符」だったのです。

 驚くべきことに、たった切符一枚で海を渡り、汽車を乗り継いで満州まで行くことができました。しかし、それほど近かった観光地・満州は、戦争の終結とともに瓦解(がかい)してしまいます。

 日本の植民地政策は許されない愚行ですが、そこに住んでいた人々や、旅をした人々が、故郷と楽しかった思い出の場所を失くすことになったのは、切ないことだと思うのです。

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  この記事を書いた人
日月 さん
古代も戦国も幕末も好きですが、興味深いのは明治以降の歴史です。 現代と違った価値観があるところが面白いです。 女性にまつわる歴史についても興味があります。歴史の影に女あり、ですから。

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