※ この記事はユーザー投稿です

じじばばパワーが歴史を動かしてきた。老齢で活躍した偉人たち

 今でこそ平均寿命が世界トップクラスの日本。けれども医療や食事が乏しい昔では長生きするのも大変そうです。しかし、そんな中でもじじばばパワーはすさまじく、経験や能力を発揮して歴史を動かした偉人たちがいました。

昔の老人は案外長生き?

 食事や医療が未発達だった昔。さぞかし老齢まで生きるのは珍しく、大変なのだろう…。そんな風に思っていたら大間違いでした。昔の人の死亡率が高かったのは出産時や子供の時で、そこを乗り切れば案外、長生きすることができたのだそうです。

 そうした老人たちは、蓄積した知恵や経験から、政治や芸術の世界で活躍する一方で、子や孫から金を巻き上げて財産を死守するなど、がめつい老人もいたとか…。

歴史上で活躍した老人たち

 健康で長生きができれば、その分の知識と経験が上乗せされていくわけですから、ある意味、老人たちは最強の存在といえるかもしれません。そのスキルを活かして老年まで現役で活躍し続けた歴史上の老人たちをご紹介します。

黒衣の宰相・天海僧正

 江戸時代初期の僧侶・天海上人は「明智光秀だった」という都市伝説があるほど謎の人物。実は天海が徳川幕府で政治に参加したのは80代になってからです。

 歳を取ると記憶力は衰えますが、経験値に則した判断力や問題解決能力は向上するそうです。(だから政治家は「くそじじい」が多いのか…)そうした老人ならではのスキルを利用して、天海は100歳を超えても政治の表舞台で活躍しました。

90歳まで現役絵師・葛飾北斎

 言わずと知れた浮世絵界のスーパースター、葛飾北斎。なんと90歳まで現役の絵師でした。有名な『富獄三十六景』は老年になってから描かれましたし、なんならじじいになってからの作品のほうが有名です。

 ところで葛飾北斎は、「飲む打つ買う」が信条の江戸ッ子には珍しく酒を飲まず、もっぱら甘いものを好んだそうです。そのおかげなのか、中風(脳血管障害の後遺症)後も見事復活し、名作を次々と夜に送り出しました。

 75歳の時、北斎は「70までに描いた絵は取るに足らない。百まで生きたら神妙の域に達する」と、老人になっても向上心を忘れず絵に打ち込んでいたからこそ、90歳まで長生きできたのかもしれません。

欲が増して自滅した爺、鬼婆にされた婆

 昔話ではよく「老人の知恵で危機を救った話」がでてきます。そのため、昔は老人たちはさぞかし大切にされていたとおもいきや…実は、そうした老人たちはごく一部だったのです。

 心や体がおかしくなってしまった途端、歴史からは酷評され、「鬼」になったり捨てられたりと、かなりシビアな現実がありました。

判断力の低下?秀吉の朝鮮出兵

 歳を取ると判断力が鈍ってしまうことも多い老人たち。豊臣秀吉の朝鮮出兵もそのいい例でしょう。

 朝鮮出兵は、武士たちへの恩賞(土地)の確保や、交易の独占が目的とする説もあります。しかし、それでも遠征における戦略があいまいなまま、戦に手を出してしまったのはやはり愚案といえるでしょう。

 実際に現地では、飢餓や病気で亡くなった兵士も多かったと聞きますから…。

 他にも秀吉は権力者の被害妄想からか、後継者の豊臣秀次を謀反の疑いで家族もろとも処刑しています。晩年の秀吉の行動は、じじばばパワーのマイナス面が色濃く出てしまったようですね。

鬼姥にされた婆

 そもそもなぜ「鬼姥」は女性だけなのでしょう?

 その理由の一つとして、昔は妻問婚で男性が女性の家に通い、子育ても女性の家で行うことが多かったから。「爺」よりも「婆」の方が身近であったからだそうです。

 また、認知症などで言動がおかしくなった老婆を「鬼」に見立て、虐待やネグレクトを正当化する物語にした、という説もあるそうです。

 いずれにせよ心身ともに健康でないと、老人たちには悲惨な運命が待っていたのですね…。

まとめ

 長生きをするのが今より大変だった時代、それでも知恵や経験を生かして活躍した歴史的シニアの活躍は、高齢化社会のヒントになりそうな気がします。

 私も強欲や病気などで周りに疎まれないためにも、先人の知恵(失敗)を胸に刻んでいい年のとり方を目指そうと思います。

※この掲載記事に関して、誤字脱字等の修正依頼、ご指摘などがありましたらこちらよりご連絡をお願いいたします。

  この記事を書いた人
日月 さん
古代も戦国も幕末も好きですが、興味深いのは明治以降の歴史です。 現代と違った価値観があるところが面白いです。 女性にまつわる歴史についても興味があります。歴史の影に女あり、ですから。

コメント欄

  • この記事に関するご感想、ご意見、ウンチク等をお寄せください。