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足利直義はなぜ、兄の尊氏を超えられなかったのか?

鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇による親政はわずか数年で瓦解し、足利氏が実権を握るようになります。初代将軍は足利尊氏ですが、政務を取り仕切っていたのは弟の足利直義で、実質的な最高指導者でした。しかし、最後まで尊氏を超えることはできませんでした。

なぜ、足利直義はトップに立てなかったのでしょうか。

足利尊氏と直義の兄弟とは

鎌倉幕府の有力御家人だった足利貞氏の子として、尊氏は嘉元3年(1305)、直義は徳治元年(1306)に生まれました。母親が同じ兄弟ですが、その性格はかなり違っていたそうです。直義は謹厳実直な人物だったと言われています。

後醍醐天皇の倒幕挙兵を受け、幕府は天皇への討伐軍を立て、足利氏にも軍に加わるよう命じます。尊氏は直義とともに出陣しますが、形勢を見て天皇方につくことを決断します。寝返りは、直義の意見だったともされています。

幕府滅亡後、直義は後醍醐天皇の皇子を奉じる立場として鎌倉に赴任しました。尊氏と対立し、政争に敗れて鎌倉に幽閉された護良親王の監視役も担ったのです。そうしたなか、建武2年(1335)に北条時行が反乱を起こしました。

中先代の乱で敗走した直義

北条時行の挙兵は「中先代の乱」と言われ、建武の親政に不満を持った勢力が北条氏の残党と組んだ騒乱でした。後醍醐政権では最大の実力者だった足利氏も、時行軍の勢いには勝てず、直義は鎌倉を離脱することになります。

直義は、足利氏の勢力下である三河まで退き、兄の尊氏の出兵を求めます。この時、直義が軍勢を整えて関東へ打って返し、時行軍を撃破できていたら、直義の立場は変わっていたかもしれません。しかし、直義はあくまでも尊氏が総大将だと考えていたのです。

尊氏が合流すると、足利軍は勢いを取り戻し、時行軍を壊滅させます。鎌倉の奪還に成功した尊氏は、征夷大将軍を名乗るようになり、恩賞の下知など将軍としての権限を行使し始めます。直義が、尊氏を補佐していたことは言うまでもありません。

足利討伐軍との戦いで窮地に

尊氏が勝手に征夷大将軍を名乗っていることに、後醍醐天皇は激怒します。天皇は、東国の支配権をめぐって足利氏と対立していた新田義貞に討伐の命を下し、足利尊氏は朝敵となってしまうのです。

尊氏は「天皇に弓を引くつもりはない」として、自らに謹慎を課して隠棲してしまいます。ただ、義貞の討伐軍が迫るなか、足利氏一門には戦うより選択肢はなく、直義や執事の高師直らを中心とした軍勢で出撃することになったのです。しかし、足利軍は敗れてしまいました。何とか鎌倉に退却できた直義は、出家も辞さないと考えていた尊氏を説き伏せ、再び尊氏が総大将に立つことになります。息を吹き返した足利軍は、激戦の末、新田軍を打ち破ったのです。

もし尊氏がそのまま出家し、直義が指揮を取り続けたとしたら、おそらく勝ち目はなかったと思われます。征夷大将軍の権威もさることながら、足利氏や支持勢力にとっては尊氏が唯一無二の存在だったのです。

尊氏に勝った直義だったが

後醍醐政権の崩壊、新田義貞らの敗北により、足利氏は政治の実権を握り、足利幕府が本格的にスタートします。しかし、足利一門内の勢力争い、とりわけ直義と高師直らとの対立が顕在化し、観応の擾乱(じょうらん)という内部抗争が起きました。

尊氏と後継者の義詮が高師直を支持したことで、直義は政務を解かれ出家に追い込まれます。ただ、直義は持ち前の政治力を発揮し、後醍醐天皇亡きあとの南朝に投降するという戦略で、徐々に巻き返しを図っていったのです。

尊氏軍と直義軍は軍事衝突にまで発展し、直義が勝利して、高一族は粛清されます。直義は、敗北した尊氏や義詮を失脚させ、自らがトップに立つこともできたはずですが、あくまでも尊氏を立て、ナンバー2として実権を握るスタンスを崩しませんでした。

おわりに

その後も直義は尊氏と対立し続けますが、降伏した観応3年(1352)、幽閉先の鎌倉で急死しました。尊氏によって毒殺されたとも言われていますが、もしかすると自らの死で内部抗争を終結させようと思ったのかもしれません。

直義は、実務能力では尊氏を上回り、軍事能力も引けを取りませんでした。では、二人の差は何だったのか。それは、足利一門を率いてきた尊氏と、それを支えてきた直義の違い・・・言うなれば、尊氏が持ち続けてきた「カリスマ性」だったのではないでしょうか。

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  この記事を書いた人
マイケルオズ さん
フリーランスでライターをやっています。歴女ではなく、レキダン(歴男)オヤジです! 戦国と幕末・維新が好きですが、古代、源平、南北朝、江戸、近代と、どの時代でも興味津々。 愛好者目線で、時には大胆な思い入れも交えながら、歴史コラムを書いていきたいと思います。

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