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カルピスと養蜂と小説の舞台となった洋館デ・ラランデ邸

 数十年前、中央線信濃町駅の付近に古い洋館がありました。列車の窓から見えたその建物は、周囲のビルやマンションの中でそこだけ独特の雰囲気がありました。

 実は、その洋館は「デ・ラランデ邸」というドイツ人建築家の住居でした。しかし、その後数奇な運命をたどり、現在は東京都武蔵小金井市にある江戸東京たてもの園に移築されているのです。

 今回は、そんなデ・ラランデ邸の歴史を調べてみました。

デ・ラランデ邸の歴史

 デ・ラランデ邸は明治に日本人建築家によって設計された洋館です。しかしその後、ドイツ人建築家、ゲオルグ・ラランデが大規模な増築・改修をしたため、今では「デ・ラランデ邸」の名で広く知られています。

 ラランデ氏がなくなった後、この洋館は中国人貿易商の住居やスペイン公使館として使われていました。そして戦後になり、カルピスの開発者・三島海雲氏が所有することになったのです。

カルピスと養蜂の館

 三島海雲氏とその家族が住むことになったデ・ラランデ邸。三島氏はこの洋館の庭で、家族とともに養蜂を営んでいました。蜂たちはぜいたくにも、赤坂離宮や東宮御所の花々から蜜を集めていたそうです。

 今ではビルの屋上などを利用した養蜂が行われるようになりましたが、三島氏はそうした都市型養蜂のさきがけでもあったのです。三島氏が亡くなったあとのデ・ラランデ邸は、長らく三島食品工業株式会社の事務所として使われていました。

三島由紀夫『鏡子の家』

 建築史家の藤森照信氏によると、信濃町にあったデ・ラランデ邸は、三島由紀夫の小説『鏡子の家』のモデルになったという説があるそうです。

 この洋館の所有者も「三島」ですし、もしかしたら三島由紀夫は、散歩の途中に見つけたこの洋館を小説の舞台にしたのかもしれません。

 そのあたりの事情は不明瞭ですが、たしかに、この洋館には富豪の夫人が住んでいてもおかしくない雰囲気があります。

現在のデ・ラランデ邸

 やがて平成になり、デ・ラランデ邸は江戸東京たてもの園に移築されました。江戸東京たてもの園は、東京の古い建物を移築し、展示している博物館で、他にも前川國男の私邸や高橋是清邸など、歴史的な建物が移築されています。

 デ・ラランデ邸は、2013年4月に移築され、修復された館内の見学が可能です。スレートぶきの屋根や赤い外壁が印象的な建物で、当時の壁紙や内装が再現されています。また、館内にはカフェ「武蔵野茶房」が併設され、コーヒーやお菓子を楽しむことができます。

おわりに

 古い建物は建築的に貴重なだけでなく、その建物がたどった歴史や、そこで暮らした人々の記録も重要な価値を持っています。しかし、老朽化や所有者の変遷にともない、とりこわされる建物も多く、残念でなりません。

 デ・ラランデ邸は、数奇な運命に合いながらも最終的に展示施設として復活しました。こうした例はとても珍しいので、ぜひ一度、江戸東京たてもの園でご覧になってみてはいかがでしょうか。

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  この記事を書いた人
日月 さん
古代も戦国も幕末も好きですが、興味深いのは明治以降の歴史です。 現代と違った価値観があるところが面白いです。 女性にまつわる歴史についても興味があります。歴史の影に女あり、ですから。

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