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チーズの歴史 仏教とほぼ同時期に日本に上陸?
- 2023/10/19
日本にチーズという食べ物が登場したのが、孝徳天皇の時代(在位645〜654年)。百済からの帰化人の子孫である善那(ぜんな)によって、牛乳と酪や蘇といった乳製品が天皇家に献上されました。
この”蘇” がチーズに該当するものだといわれています。しかし、現在の製法とは異なり、牛乳を煮つめて固めたものだったようです。
この”蘇” がチーズに該当するものだといわれています。しかし、現在の製法とは異なり、牛乳を煮つめて固めたものだったようです。
東洋型チーズの原型(⾶⿃時代)
日本に乳製品が伝わったのは⾶⿃時代のこと。今からはるか昔、1400年も昔のことだといわれています。この時代は仏教が日本に伝来したのとほぼ同時期で、乳牛を飼うという風習が伝えられた時期でもありました。当時のチーズと思われる乳製品は「蘇(そ)」と呼ばれていて、栄養食品の一つとして重用されていました。
「蘇(そ)」の作り方は現在のチーズ作りとは大きく異なり、牛乳を煮詰めて固めるだけの製造工程だったようです。その後、「蘇」を天皇に献上する制度ができ上がり、盛んに製造されるようになりました。
しかし、あくまで高貴な人のために作られる食べ物で、庶民の口に入ることはありませんでした。その後、武家社会に変遷していくことで「蘇」も作られなくなり、忘れ去られてしまいます。
長い時間を経て再登場(江戸時代)
チーズが「蘇」と呼ばれ、天皇に献上されていた時代から時は過ぎ去り、日本に乳製品が再登場したのは江戸時代でした。徳川幕府も八代目の将軍となる徳川吉宗の時代。インドから白牛を輸入して、現在の千葉県南房総市となる安房の嶺岡に牧場をつくり、そこに白牛を放牧します。そしてその牛の乳を搾り、⾶⿃時代と同様に煮詰めて作ったのです。当時では「白牛酪(はくぎゅうらく)」と呼ばれていたとか。
「白牛酪」は、疲労・衰弱・栄養不足からの回復に効果があるとされ、削って食べたり湯に溶かして飲んだりして、滋養強壮のために食した薬でもあったのでした。
安房の嶺岡で白牛を放牧したことがきっかけとなって、現在の千葉は酪農県として知られていますよね。
現在のチーズへ
現在、私たちが好んで食べている⻄洋型のナチュラルチーズの原型が作られたのは明治時代のことです。初めて伝来した飛鳥時代の「蘇」や江戸時代の「白牛酪」と比べて、かなり進化したものになりました。時は明治8年(1875)のこと、北海道の開拓使七重開墾場において、アメリカから来日したエドウィン・ダンが、チェダーチーズの製法を日本人に指導したことから始まります。
その当時では、チーズを作る⼈も⾷べる⼈も、まだほとんどいませんでした。しかし時代が進んで昭和3年(1928)になると、現在の雪印メグミルク株式会社となる北海道製酪販売組合連合会が試験的にブリックチーズを製造したのです。
昭和8年(1933)には、北海道の遠浅地区においてゴーダチーズの⽣産が本格的に行われるようになりました。そして昭和9年(1934)、ついに「雪印北海道チーズ」(プロセスチーズ)が発売されたのです。
チーズが日本の食文化に普及
このような変遷により作られたチーズでしたが、第2次世界大戦が勃発したことで一時製造が中止されていました。しかし戦争も終わって社会が落ち着くと、プロセスチーズの生産が再開されたのです。昭和時代の日本では食も洋風ナイズされて、チーズの需要と消費も徐々に広がっていきます。そして昭和39年(1964)の東京オリンピックを契機として、海外旅行者が一気に増えたこともあり、本格的なナチュラルチーズの普及が始まりました。
その後チーズは、ピザやチーズケーキなどの食品が人気となり、私たちの食生活に欠かせないものになってきました。そしてワインブームが起こり、カマンベールなどを楽しむ人が増えていきます。最近ではチーズの健康機能にも注目され、チーズはしっかりと日本の食文化に定着したと言えるでしょう。
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