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「指揮権発動」とは? 造船疑獄と佐藤栄作

※佐藤栄作氏(1961年。wikipediaより)
※佐藤栄作氏(1961年。wikipediaより)

昭和28年から29年頃のことです。太平洋戦争が終わり日本経済は復興途上にあった時代、一つの大きな問題がありました。それは「船がない」ことです。

日本は資源が無いので原材料を輸入して加工し、出来た製品を輸出することで経済を回すしか道はありませんでした。つまり原材料、製品、という重量物を大量に運送しなければならないのですが、それには船を使うしかなく、それは今も変わりません。

しかし日本は太平洋戦争で多くの民間船を徴用し、軍艦に改造して失ってしまったため、民間の船舶が不足しており、しかも戦時中は民間船舶の必要性が少なく、新造していなかったため、残っているのは老朽化した船だけでした。

これでは経済の復興は進みません。これは「国家的な問題」でもあったため、船舶会社は船を新造することにしたのですが、船を新造するには大金が必要となります。そこで船舶会社各社は「政府に助けてもらおう。これは国家経済に関わる問題でもあるのだから」と考えました。

こうして日本政府は、船舶会社各社が船を新造する際に銀行から借りるお金にかかる利子を、政府が負担する法律を作りました。しかし、船舶会社各社は「その程度の対応では物足りない」と文句を言い、「もっと良い内容にして欲しい」と日本政府に働きかけた結果、法律が改正されて船舶会社に非常に有利な制度が出来上がりました。

この改正された制度で船舶会社は、どんどん船を新造し始めます。何しろ改正された制度では新造船の費用の75%を日本開発銀行が必ず融資してくれ、残りの25%は市中銀行が必ず融資してくれるようになったからです。もちろん利子は政府の負担ですので無利子です。つまり船舶会社は自分は1円も出さずとも、新造船が作れるようになったのです。

これで船の不足問題は解決し、日本経済は回り始めるのですから結果としては「やむを得ない一時的な処置」と誰もが認めるかもしれません。しかし、ちょっと考えてみて下さい。これだけ船舶会社に有利ということは、「誰かが損をしている」ということです。では誰が損をしているのか、というと「全ては税金で賄われている」のですから損をしているのは国民ということになります。

いくら「国家的な問題」であっても、程度問題というものはあるでしょう。この「造船利子補給法」は、あまりにも船舶会社に有利過ぎました。更に船舶業界と造船業界の間には「リベート」という慣習があり、造船会社は発注してくれた会社に対し発注額の一定割合を「発注お礼」という形で戻していたのです。

この発注した会社に戻された「発注お礼」のお金はどうなったのか、というと、その船舶会社の社長や重役が私物化していたのです。そのお金も元をたどれば税金ということになります。しかし国民は、そんなことは知りません。「国家的な問題」ならやむを得ない、ということで納得していたのですが、思わぬところから、この「造船利子補給法」を巡る大疑獄事件が発覚してしまうのです。そして、追いつめられた政治家は前代未聞の手を使って窮地を切り抜けたのです。

順番を追ってお話しましょう。

ことの発端

金融業者である森脇将光は猪俣功という人物に金を貸したところ、全然、返してくれないので詐欺で訴えました。詐欺罪は刑法であって民法ではないので警察が捜査に乗り出します。

警察が猪俣功の事務所を家宅捜査して関係書類を押収、調べたところ、猪俣功は山下汽船、日本海運、日本通運という大手船舶会社からも大金を借りており、それも返していないことがわかりました。さらに山下汽船、日本海運、日本通運から猪俣功に貸し出された金の出所を調べると、なんと各社の社長や重役が勝手に会社の資金を貸していた、ということもわかったのです。

このように会社経営者が自分のために、会社のお金を勝手に誰かに貸して利子を稼ぐ行為を「浮き貸し」と言い、これは立派な犯罪行為です。そこで警察は、今度は山下汽船、日本海運、日本通運の社長や重役の家宅捜査を行いました。すると押収した書類の中から「とんでもないもの」が出てきたのです。

山下メモの発見

警察が山下汽船の横田社長と吉田重役を「特別背任罪」で逮捕し、家宅捜査を行ったところ、一枚のメモが見つかりました。そのメモには政治家の名前が30人以上も記載され、さらに賄賂として送った金額が書かれていたのです。

しかも、その政治家の名前の中には「大物政治家」が多数、含まれていました。警察はそのメモを元に各船舶会社の経理書類、発注した造船会社の書類と照合してみたところ、完全に裏付けが取れ、横田社長と吉田重役は贈賄罪で再逮捕されます。

このメモを通称「山下メモ」と呼びます。贈賄罪は「ワイロを送った方」に適用される罪です。と、なると、次は「ワイロを送られた方」、つまりメモに書かれている「大物政治家」が収賄罪で逮捕される番です。さて、どうなるのでしょうか?

検察官という存在

国会議員には「不逮捕特権」という特権がありますが、これは「国会の会期中」という条件が付きます。つまり国会の会期中でなければ逮捕も可能な訳です。また会期中であっても議院の許諾があれば逮捕できます。

この案件は「収賄罪」という国会議員としては許されざる行為なので、議院といえど許諾を出さざるを得ないでしょう。つまり国会議員の不逮捕特権は効かないのです。ですが政治家、特に大物政治家もいるとなると、いかに検察といえども慎重にならざるを得ません。なぜならメモに記載されている30人以上の政治家を一斉に逮捕しても確実な証拠が無ければ公判を維持できないケースが出てくる可能性があるからです。

そうなった場合、相手が政治家である以上、どんな仕返しをされるか分かりません。検察官というのは「司法に携わる身」でありながら、法務省の管轄下にある行政官という立場でもあるのです。行政は立法に携わる議員、特に大きな権力を持つ大物議員に対しては常に弱い立場なのです。ですので、確実に立証でき、公判を維持するだけの証拠が揃っている人物だけを逮捕しなければなりません。

ここまで書くと「え?」と思われる方もいるかもしれません。検察官は明らかに司法に関わるのだから行政から独立した存在でなければならないのでは?と思われるでしょう。そうでなければ行政の長でもある政治家の逮捕がしにくいのは当然です。

実は戦前の「大日本帝国憲法」の時代には検察は裁判官と同じく司法に属する立場で、行政とは関係がありませんでした。しかし、それが特高警察などの存在を許してしまう結果となったので、戦後の日本国憲法の下では検察は司法を扱う行政官という非常に微妙な立ち位置にさせられているのです。

「検察は司法か行政か?」という問題は世界各国で議論されている問題なのですが、一般的に「検察は司法に属し、行政とは関係ない」としている国に限って独裁的な政治が行われている、というのが実情です。先進国では「検察官は司法を扱う行政官」とするのが一般的で、そうでないと権力者が検察を使って自分に都合の悪い相手を排除する、ということが行われてしまいがちなのです。

ですので検察庁内では「山下メモの中の誰を逮捕するか…」が真剣、慎重に協議されたのです。また、検事総長は法務大臣である犬養健(いぬかい たける)とも協議を重ね、「逮捕する政治家」を絞り込んで行きました。

やっと出た結論

検察庁内で協議、検討した結果、ついに「逮捕すべき政治家」が決まりました。それは吉田茂内閣の当時、与党である自由党の幹事長であった佐藤栄作氏でした。そう、のちに総理大臣在任期間2798日という記録を持ち、日本人として唯一のノーベル平和賞の受賞者である、あの佐藤栄作氏です。

メモに書かれていた中で最も大物の政治家でもありました。この結論を検事総長から聞いた犬養法務大臣は、それまでの積極的な姿勢から急変し「何とか逮捕は回避できないもんかね」と検事総長に問いただします。

しかし検事総長は譲りません。佐藤栄作幹事長の有罪立証に絶対の自信を持っていました。まして「ワイロを送った側」は既に逮捕しているのです。「ワイロを送られた側」も逮捕しなければ社会正義の観点からも許されません。

検察は徹底的にやる気でした。検察はまず佐藤栄作氏の会計係であった橋本明夫氏を逮捕します。彼は会計の実務を担当しており金の流れの詳細を知っているからです。橋本氏の逮捕により検察は「佐藤幹事長の有罪立証」にさらに自信を深め、もはや「佐藤幹事長逮捕」は時間の問題でした。

※犬養健氏(wikipediaより)
※犬養健氏(wikipediaより)

逮捕請求開始と「指揮権発動」

いよいよ裁判所に佐藤幹事長の逮捕状請求をかけることになりました。しかし議員の逮捕には法務大臣の請訓が必要なので、検事総長は書類を作って法務省に提出します。

その書類は局長を経由し法務次官の決済を受けた後、いよいよ法務大臣のデスクに回ってきました。すると犬養法務大臣は以下のようにペンで書き入れ、判を押したのです。

「重要法案が通過するまで逮捕は無期限に保留とする。これは検察庁法第十四条に基づくものである」  
この瞬間、造船疑獄による佐藤幹事長の逮捕は不可能になってしまいました。以下に「検察庁法第十四条」を書き記してみます。

第14条  法務大臣は、第4条及び第6条に規定する検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる。

指揮とは「統率し指図や命令をすること」という意味です。つまり法務大臣には検察官、或いは検事総長に命令を出すことが可能なのです。

犬養法務大臣は、この第14条に基づいて「命令」を出した訳です。いかに検察庁といえど、この条文に従った「命令」には従わなければなりません。まさに「行政官である検察」の弱点を突いた方法でした。

これを世間では「法務大臣の指揮権発動」と呼び、現在でも、この条文は生きているので法務大臣には「検察に対する指揮権」があります。

しかし、この「命令」はあまりにも理不尽というしかありません。当然、世間から強い非難の声が上がりました。そして、それを予想していた犬養法務大臣は「指揮権発動」を行った直後に法務大臣を辞任しますが、実質的に政治生命をも断たれてまいます。

また犬養氏は作家でもあったのですが、この指揮権発動の一件により、日本ペンクラブから加入を断られ、作家生命も断たれてしまうのです。それほどに、この「指揮権発動」は世間から大きな非難を浴びたのでした。

その一方、法務大臣にはそんな権利があるんだ、ということを世間に知らしめることにもなりました。ですので、その後、ロッキード事件、リクルート事件などの疑獄事件が起き、内閣改造が行われると「法務大臣は誰だ?」ということに注目が集まるようになったのです。

造船疑獄の一件以来、法務大臣の指揮権発動が行われたことは一度もありません。ありませんが「発動する権利」はいまだに法務大臣にあるのです。いわば「最後の切り札」は未だに温存されている、ということです。

指揮権発動により逮捕を免れた佐藤栄作幹事長は「保守大合同」を経て自民党に移り、総理大臣となり在任期間2798日という長期記録を樹立します。池田勇人総理大臣の「所得倍増計画」は有名ですが、有名無実であり池田総理が退任したあと、実は国内経済はガタガタの状態でした。その日本経済を立て直し、先進国のレベルにまで引き上げたのが、実は佐藤栄作総理なのですが、佐藤総理に対する評価は現在でも芳しくありません。

沖縄返還において実は「密約」があったことは現在では公的にも認められていることですが、佐藤総理は、そのことを決して国民に知らせようとはしませんでした。非核三原則がある以上、言える訳がありません。それも評価を下げている一因ですが、決定的なのは、この造船疑獄において「指揮権発動」により逮捕を免れたからなのです。

佐藤栄作氏は造船疑獄の際、検察の取り調べに対し「こういうことを追及されては政党の幹事長は勤まらない」と検事に言ったそうです。これは多分、本音でしょう。政治の世界というのは「綺麗ごとでは済まされない」ということかと思います。

かつて大久保利通は「嫌われようが憎まれようがやるべきことをやる」と述べていたそうですが、実際に紀尾井坂で暗殺されてしまいます。つまり政治家になる、ということは「時と場合により死をも覚悟しなければならない」ということでしょう。

東大法学部を目指すエリート指向の皆さん、その覚悟はおありですか?

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  この記事を書いた人
なのはなや さん
趣味で歴史を調べています。主に江戸時代~現代が中心です。記事はできるだけ信頼のおける資料に沿って調べてから投稿しておりますが、「もう確かめようがない」ことも沢山あり、推測するしかない部分もあります。その辺りは、そう記述するように心がけておりますのでご意見があればお寄せ下さい。

コメント欄

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井真成
実は造船疑獄事件における指揮権発動には裏がありました。
当時検察は収賄容疑での佐藤幹事長立件を視野に捜査を進めていました。ですが職務権限といった法律上の問題などから、無理筋の捜査を危惧した検察幹部が当時の吉田内閣に指揮権発動を持ちかけたのが真相と思われます。
そして事件後、佐藤政権が長期政権を維持できたのも、検察との「密約」あってこそのようです。
造船疑獄の指揮権発動の詳細は
「歪んだ正義 特捜検察の語られざる真相(宮本雅史著 情報センター出版局 2003年)」
「指揮権発動 造船疑獄と戦後検察の確立(渡邉文幸著 信山社出版 2005年)」
を参照されたい。
2024/03/19 16:35