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着物にネックレス、大正・昭和の和洋折衷着物スタイル

みなさん「着物警察」をご存じですか?「着物警察」とは、着物を着た若い女性を見つけては「着付けがおかしい」と言って説教をしたり、無理やり着付けを直そうとする年配の女性たちのことです。

彼女たちは一分のすきもない、きっちりしたフォーマルの着付けを基準にしているため、少しでも基準をはずれた着付けを許さないのです。

しかし今から100年前、着物が普段着だった時代は貴族の令嬢から庶民の娘さんまで、彼女たちの着付け方は今の基準では「だらしない」のです。

洋風文化が定着し始めた大正・昭和の着物スタイルは、令和の現代でも斬新な和洋折衷スタイルを取り入れていました。

着物警察もびっくり!大正着物スタイル

今は気軽に借りられるレンタル着物が流行しています。観光地では着物姿の女性たち(男性も)を多く見かけるようになりました。それらの着物デザインはレースを合わせたり、大胆な図柄で目を引くのですが、大正時代の着物スタイルはもっと大胆でした。

そんな大胆で奇抜なコーディネートに影響を与えたのが、大正時代に流行した叙情画です。竹久夢二や高畠華宵といった画家たちの描く叙情画は、当時の女性のファッションのお手本でした。

< 大正時代の奇抜な着物スタイル例 >
  • 着物の丈はひざ下まで上げ、ワンピース風にアレンジ
  • 帯の上からスカーフをゆるく巻きつける
  • 足元はパンプス
  • 頭にはティアラ風の髪飾り

大正の着物スタイルは「とにかく、なんでも洋風を入れてみよう!」という試行錯誤の後がうかがえます。せっかく着物をワンピース風にアレンジしても、洋傘がないので和傘で代用するなど、あるもので何とか洋風にアレンジしようとしています。

大正から昭和初期は、洋食でも「和風の材料で洋食っぽく」を目指した結果、とんでもないレシピができてしまったので、洋風への試行錯誤の時代だったのでしょうね。

※「なます」がシチュウのつけあわせ?昔のトンデモ洋食レシピ

谷崎文学の奇抜な着物スタイル

雑誌の叙情画や挿絵、小説の中の着物描写は当時の流行をけん引していました。まだインターネットもSNSもない時代、人々は物語や雑誌からファッションを取り入れていたのです。

着道楽でもあった谷崎潤一郎の着物描写は、大胆で美しく現代でも奇抜に感じるほどでした。谷崎作品では、着物に長いネックレスを合わせたり、下着の襦袢(じゅばん)をつけずに大胆に着こなす銘仙など、現代でもあまり見ることのない奇抜な着物スタイルが登場します。

また、谷崎潤一郎の奥さまも着物にビーズのバッグを愛用していたりと、和洋折衷のスタイルを取り入れていました。

庶民の昭和着物スタイル

昭和に入ると、大正のように大胆な和洋折衷のコーディネートは少なくなり、着物の中に洋風が自然に取り入れられていきます。

少しずつ洋服が普及してきたので、無理やり着物を洋服風に着なくてもよくなったのかもしれません。

ショールや洋傘、帽子といった洋風小物が浸透し、女性たちは着物にバッグやショールをあわせた着物スタイルを楽しむようになりました。

また、洋服と着物をあわせるスタイルは部屋着にも利用され、昭和の小説の挿絵には、セーターとスカートの上に羽織を重ねるスタイルが描かれています。おそらく「どてら」のような感覚なのでしょうね。

まとめ

大正・昭和の着物は現代よりも大胆でした。
昔の女性たちは、さまざまな試行錯誤を経て、洋風のデザインや小物をとりいれたコーディネートを確立していったのです。

太平洋戦争後、洋服が主流になるにつれて昔の自由な着物スタイルが忘れられてしまい、きっちりとした着付けが正義と主張する着物警察が生まれました。

しかし、きっちりとした着物スタイルばかりではなく、昔のように自由な洋風コーディネートがあってもいいと思うのです。そうでないとますます着物は廃れてしまいますから…。

※参考書籍
『アンティーク着物万華鏡 大正~昭和の乙女に学ぶ着こなし』

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  この記事を書いた人
日月 さん
古代も戦国も幕末も好きですが、興味深いのは明治以降の歴史です。 現代と違った価値観があるところが面白いです。 女性にまつわる歴史についても興味があります。歴史の影に女あり、ですから。

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