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甲府盆地に残る湖水伝説とは
- 2023/07/21
甲府盆地には太古は湖だったという伝承が残っている。このような伝説は日本各地にあるというが、山梨県内にも湖水伝説にまつわるスポットが複数存在している。
穴切大神社は甲府市宝に位置する神社であり、古くは穴切明神と呼ばれていたという。市街地の道沿いに鳥居があり、車で訪れたときには乗車したまま鳥居くぐって、境内にある駐車場に入ることができる。
祭神はいずれも国造りにかかわった神様である素戔嗚尊(すさのおのみこと)、大己貴命(おおむなちのみこと)、少彦名命(すくなびこなのみこと)だ。
むかし、山に囲まれて湖のようになっていたという甲斐国。奈良時代に都から派遣された国司は、水を抜けば肥沃な水田ができると考え、鰍沢口を選んで穴を切り開いて、甲府盆地を造った…という伝説。このときに大己貴命(おおむなちのみこと)に成功を祈り、その功徳をたたえて穴切神社がつくられたとされる。
伝説では、山に穴を開けた神様は穴切明神、岩を蹴り破った神様は蹴裂明神とされ、出水口の鰍沢口には蹴裂(けさき)明神が祀られたという。
【穴切大神社ホームページ】
http://www.anagiridaijinja.jp/index.html
【甲府市ホームページ「穴切大神社本殿」】
https://www.city.kofu.yamanashi.jp/senior/bunkazai/021.html
湖水伝説にまつわる佐久神社の1つが、甲府市下向山町にある。由緒には祭神のうち向山土本毘古王について、彦火火出見尊の後裔とあり、
「媛靖天皇(2代天皇:神武天皇の第3皇子)の勅命により国造として甲斐に入国一面の湖水を切り開き平土を得、住民安住の地を確保した功績は偉大なるものであり、甲斐の大開祖として崇められた。崇神天皇八年向山郷大宮山に國祭を以て宮殿を造営され、佐久大明神として祀らる」
とある。「裂(さ)く」と音を同じくする「佐久」神社はほかにもあるが、由緒が少しずつ違っている。
【山梨県神社庁ホームページ 佐久神社】
http://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/3101
笛吹市石和町の佐久神社の社記には「上古当国が湖沼なりし時、天手力雄命が大岩を裂いて水を涸らし現在の地となしたので、当国開梱の祖神として一国の中央の当地に奉斎す」とあるとされる。天手力雄命は、天岩戸を開けて天照大神を外の世界に出したとされる神だ。手の力が強く世界に明るさを取り戻した神であることから祭神としている神社も多い。
【山梨県神社庁ホームページ 佐久神社(旧郷社)】
http://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/3002
加えて、甲府市中央の甲斐奈神社の由緒には
「人皇第二代綏靖天皇の御代、皇子土本毘古王、甲斐国疏水工事を行ひ、開拓の御業なせし時、中央の山上甲斐奈山に、白山大神を祀る事に始まり、以来延喜式神名帳に載る如く甲斐国鎮守の神として尊崇された」
とあるとされ、かつては愛宕山の山頂にあった神社。県内には、甲斐奈神社がほかに2社ある。
【山梨県神社庁ホームページ 甲斐奈神社(旧郷社)】
http://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/1026
湖水伝説にまつわるスポットとして神話の時代に関連する由緒をもつ場所を取り上げてきたが、甲府盆地がかつて湖であったということは伝説にとどまると考えられている。しかし、山梨県内には治水にまつわる神社や祭りが非常に多く残っており、洪水に悩まされていた土地であることをうかがわせる。水を治めることは、いつの世にも人々の切なる願いであったのだ。
参考文献
『まんが甲府の歴史 上 古代-近世編 市制百周年記念 』甲府市(ぎょうせい 1989)
『こうふ開府500年記念誌 甲府歴史ものがたり』甲府市(2019)
西川広平「甲斐国湖水伝説の成立について」山梨県立博物館研究紀要 第8集2014
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