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6月2日は「裏切りの日」。本能寺の現在は?

本能寺の変が起こったのは、1582年6月2日。京都の本能寺に泊まっていた織田信長が家臣である明智光秀に裏切られて攻め込まれ、本能寺で自害した事件が本能寺の変です。そのためこの日は「裏切りの日」と言われています。

ドラマ等で、本能寺が信長と一緒に焼け落ちるという場面を見たことがあるという方も多いかもしれませんが、実は本能寺は現在も京都にあるお寺。

本能寺の変後は一体どのような変遷があったのでしょうか?今回現地を訪れるとともに調べてみました。

本能寺の変遷

現在の本能寺はどこにある?

現在の本能寺は京都市中京区下本能寺前町にあります。地下鉄京都市役所前からすぐ、商店街とも直結しているため観光の合間にも行きやすい場所です。

株式会社本能寺文化会館を運営しており、隣接するホテル本能寺や境内にある博物館の本能寺大寶殿宝物館なども経営しているという「会社」でもあるようです。

本能寺は移転・焼失・再建を繰り返してきた

本能寺の正式な名前は「法華宗大本山本能寺」。1415年(応永22年)に建立された本応寺が前身になっていて、この時は油小路高辻(現・仏光寺付近)に建立されていたということです。その後1429年(永享元年)、内野(現:西陣周辺)に再建した際、本能寺と寺号を定めました。

しかし本能寺の変などの戦乱や災難によって5度の焼失、7度の再建を繰り返してきたといいます。現在の場所は本能寺の変後に移築された場所になります。

本能寺の変後の動き

本能寺の変がおこったあと、天正19年(1591年)、豊臣秀吉の命により現在の場所(中京区下本能寺前町)へと移築されました。当時は現在の御池通と京都市役所などを含む広大な敷地であり、末寺92を数える大寺院だったといいます。

天明の大火(1788年)で焼失され、1840年には日恩上人によって再建されています。しかし、明治維新時に京都で起こった禁門の変(蛤御門の変・1864年)に伴い発生した火事で焼失。その後明治の廃仏毀釈などの影響もあり再建されず、寺地は大幅に小さくはなりましたが、1928年(昭和3年)にようやく本堂が完成し現在に至ります。

本能寺の変が起こったときに本能寺があった場所には碑が建っています。

元々は本能小学校という学校が建っていましたが、廃校となり、現在は現在は京都市立堀川高等学校と高齢者福祉施設になっています。

発掘調査により、本能寺の変当時の遺構が発見されたり、本能寺の変で焼けた瓦など貴重な歴史を残す遺物が見つかっています。

本能寺を訪れてみる

現在の本能寺。
現在の本能寺。

再建され、参拝も自由にできるようになっています。

寺務所は2019年にリニューアルされ、とてもきれいな建物に。中ではグッズの販売や御朱印をいただけたりしますが、特に気になったのが御朱印帳やグッズの多さ!オシャレなものが多いので、戦国好きの方は購入もおすすめ。たくさん種類があって迷ってしまいそうです。

現在の本能寺には7院の塔頭(恵昇院、蓮承院、定性院、高俊院、本行院、源妙院、龍雲院)があり、供養塔や信長公墓も境内にあります。そのうち龍雲院以外は蛤御門の変で焼失したそうです。

織田信長のファンの方は信長公墓への参拝も忘れずに。

寺務所の隣には大寶殿宝物館(博物館)があります。貴重な資料が残されているので、気になる方はぜひこちらもセットで訪れてみてはいかがでしょうか。

本能寺の変には未だに解明されていない謎もある

歴史的事件として子供から大人まで知っている「本能寺の変」ですが、実は未だに解明されていない部分も多くあります。

明智光秀の謀反の理由

定説では織田信長に虐げられていた明智光秀に限界がきて追い詰められていた、という説や織田信長を倒して自分が天下統一をしようとしたなどの説が多いですが、何が引き金になったのかや、本当に明智光秀は虐げられていたのか?ということ、また明智光秀が本当に天下統一を目論んでいたのかという部分はあやふやです。

様々な書状からその一部分を知ることはできますが、その時の人間関係を完全に知ることはできないので書状の内容が真実なのか、また策略なのかもはかり知ることはできません。未だに、この日本史上最大の裏切り事件とも言われる謀反の理由ははっきりしていません。

織田信長の遺体は見つかっていない

織田信長の遺体は現在に至るまで見つかっていません。

本能寺は焼け落ち、その現場で明智光秀が信長の遺体を探したものの、いくら探しても見つからなかったといいます。そしてその明智光秀を破った豊臣秀吉も信長の遺体を探しましたが、それでもやはり見つかることはなかったといいます。

完全に灰になってしまったのか、それとも誰かが運び出したのか…。今でも最大の謎として残っています。

まとめ:本能寺と本能寺の変について

「裏切りの日」にちなんで本能寺について調べました。本能寺というとなんとなく怖い、何か怨念のようなものが残っていそうな気もしてしまうのですが、現在の本能寺は移転後の敷地であり、とても明るいイメージです。

博物館や御朱印などもあり歴史を学ぶこともできるため、歴史好きの方から本能寺の変は知っているけど詳しくはわからない…という方までおすすめできます。アクセスも良いので、観光の合間にもぜひ立ち寄ってみてくださいね。

<参考>
本能寺公式サイト https://www.kyoto-honnouji.jp/index.html

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  この記事を書いた人
ゆかた さん

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