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7年に一度の御開帳!六善光寺の1つである甲斐善光寺を訪ねる

長野県長野市の善光寺(信州善光寺)といえば、一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来像)を本尊とし1400年の歴史をもつ寺。一光三尊阿弥陀如来とは、1つの光背の中に阿弥陀如来と両脇に観世音菩薩・勢至菩薩の三尊が配置した阿弥陀如来であり、善光寺式阿弥陀三尊像とも言われる。

『善光寺縁起』には、本尊の一光三尊阿弥陀如来はインドから朝鮮半島百済国へと渡り、欽明天皇13(552)年の仏教伝来の折に日本へ伝えられた日本最古の仏像と記録されているという。この善光寺の本尊は、白雉5(654)年から公開されたことのない秘仏だ。

7年に一度の御開帳では、絶対秘仏であるこの本尊の代わりに、同じ姿の前立本尊にお参りができる。また、本堂前に立てられる回向柱は、前立本尊の右手の中指と「善の綱」で結ばれているとされ、触れる人々に慈悲を伝えてくれると伝えられている。

信州善光寺のほか、六善光寺と呼ばれる6つの善光寺でも同時に行われている御開帳。六善光寺とは、長野県飯田市の善光寺(元善光寺)、山梨県甲府市の善光寺(甲斐善光寺)、愛知県稲沢市の善光寺(祖父江善光寺東海別院)、岐阜県関市の善光寺(関善光寺)、岐阜県岐阜市の善光寺(岐阜善光寺)のこと。

六善光寺の1つである甲斐善光寺は、武田信玄と上杉謙信が善光寺平で川中島の合戦を繰り広げていた当時、焼失を恐れた武田信玄が永禄元(1558)年に善光寺の本尊である一光三尊阿弥陀如来像をはじめ寺の組織を甲府に移したことに始まる寺。

信玄が甲府に移して祀った本尊は、武田氏滅亡後には織田家や徳川家によって祀られ、その後、豊臣秀吉によって京都・方広寺の本尊として祀られていた。しかし、秀吉の枕元に善光寺如来が立ち「信濃の地に戻りたい」と告げたことから、慶長3(1598)年に善光寺如来像は信州善光寺に戻っている。

現在の甲斐善光寺の本尊である善光寺如来は、建久6(1195)年に尾張の僧・定尊が、秘仏である信濃善光寺の本尊の前立仏として造立したものだという。在銘最古のこの一光三尊式善光寺如来像は、1m40cmを超える等身像であり、重要文化財に指定されている。

派手ではないが、お戒壇廻りや日本一の規模を誇る鳴き龍もある甲斐善光寺。宝物館では、木造阿弥陀三尊像、最古の源頼朝像とされる源頼朝木像や源実朝木像が展示されるなど見どころも多い。


◆甲斐善光寺
山梨県甲府市善光寺3丁目36−1
公式ホームページ
http://www.kai-zenkoji.or.jp/


▼六善光寺同時御開帳ホームページ
https://gokaicho.net/

▼善光寺ホームページ
https://www.zenkoji.jp/

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KOBAYASHI Sayaka さん
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