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最大の仕事は結婚!江戸時代の姫君の人生とは
- 2022/07/25
お姫様、といえば古今東西「きらびやかな衣装をまとい、美味しいものを食べ、華やかに暮らしましたとさ。」と、昔話などでは紹介されていますが、実際のところはどうなのでしょう?
文献や本から、当時のプリンセスライフをのぞいてみると、面白いことがわかりました。
文献や本から、当時のプリンセスライフをのぞいてみると、面白いことがわかりました。
江戸時代のプリンセスライフ
『大江戸の姫さま』という本では、江戸時代の大名の姫さまの生活を紹介しています。戦国時代とちがい、夫の留守に命がけで城をまもる、といった荒っぽい仕事もなくなり、ひたすら優雅にプリンセスライフを楽しんでいます。・犬や猫などをかわいがる(その待遇は人間以上)
・歌舞伎を見に行ったり、舟遊びをしたり
・結婚に際しては、豪華な調度品や輿(こし)が用意される
そんな、仕事という仕事のない江戸時代の姫さまですが、そんな彼女たちの最大の仕事こそ「(政略)結婚」だったのです。
姫さま最大の仕事は結婚
大名の姫の最大の仕事、それは「結婚して婚家にいること」。姫さまの結婚には豪華な調度品はもちろんのこと、婚家からお付きのものが何人(ときには何十人も)付き従ってきます。政略結婚とはいえ、豪華なウェディングを用意され、見知った侍女たちも周りにいるので、さぞかし気楽かと思いきや、婚家と生家の板挟みになることもあり、結婚生活も楽しいだけではないようです。
加賀藩当主・前田利常に嫁いだ徳川秀忠の息女・珠姫は三男五女に恵まれ夫婦仲はとてもよかったものの、外様(とざま)大名に情報が漏れるのを恐れた乳母に、夫との仲を裂かれて衰弱死したというエピソードも伝わっています。
ちなみにその乳母は、事情を知った利常によって、蛇責め(!)にされ殺されたとか…
この当時、女性は政治に関与しないとはいえ、跡取りを産むのは女性ですし、姫さまたちは大名の奥方として奥を仕切ることで、婚家と生家のパワーバランスをとっていたのかもしれません。
『武士の家計簿』に見る、将軍家の姫の結婚
映画『武士の家計簿』では、加賀藩当主・前田斉泰の正室だった11代将軍・徳川家斉の21女・溶姫のお輿入れのエピソードがでてきます。「お輿入れのため、屋敷の門を赤く塗るのに費用がかかったので、門の前側のみ朱塗りにして節約した」という準備係を仰せつかったのが『武士の家計簿』の主人公の父、猪山信之でした。
その門は後に「東大の赤門」として有名になりますが、当時は将軍家の姫さまのお輿入れに際して、門や御殿を造営するのは当たり前でした。
そういえば、有名な姫路城も徳川家康の孫・千姫のお輿入れの際に化粧櫓(けしょうやぐら)を増築していますね。しかしこれは、破格の化粧料(持参金)を徳川家からもらったからできたこと。
御殿をたてたり、門をつくったりと、将軍家の姫を妻に迎えるのは、名誉以上にお金がかかるものでした。
そりゃ、家計簿をつけて節約もしなくちゃですよね…。
まとめ
姫さまの中には、田んぼを見て「あれは何?」と聞いた世間知らずの方もいたそうですが、一方で、名君・上杉鷹山は姫の教育にも力を入れ、倹約と夫への忠義を教えこみ、姫たちを嫁がせたそうです。そのおかげで上杉家の姫たちは、格下の家臣ではなく、大名家との縁談が引く手あまただったとか。
姫さまたちは「なにもしない、ただいるだけ」が仕事とはいえ、奥向きを支配できるだけの威厳と知識は必要だったのでしょうね。
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