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ブサイクになりたい!美人であるがゆえに苦労した美女たち
- 2022/06/27
整形やアンチエイジングなど、美しさに価値を求め、努力する女性の姿はいつの時代もかわりませんが、中には「いっそのこと、ブサイクになりたい…」、「女をやめたい…」と思った美女たちがいました。
現代と比べ、女性の地位も権利も低い時代は、美貌は武器であると同時に、自らを傷つけてしまう諸刃の剣でもありました。
現代と比べ、女性の地位も権利も低い時代は、美貌は武器であると同時に、自らを傷つけてしまう諸刃の剣でもありました。
自らの歯を抜いてブサイクになろうとした女性
幕末に大田垣蓮月という尼僧がいました。「最後の文人」といわれた画家・富岡鉄斎を育てた人物です。また、彼女は和歌もたくみであり、西郷隆盛に宛てた平和を祈る和歌は、その後の西郷の行動に影響を与えたとも言われています。
そんな大田垣蓮月は若い頃、絶世の美貌を誇った麗人でした。知恩院に仕える侍の家に生まれ、結婚し子どもにも恵まれましたが、夫と子どもを相次いでなくします。
若くして夫を亡くした彼女に追い打ちをかけたのは、美貌を目当てに欲望をさらけ出した男たちでした。「妾になれ」と強引に迫る者、和歌の授業をそっちのけで口説く者、そんな男たちの欲望に辟易した蓮月は、なんとブサイクになるよう自らを整形していったのです。
・血をにじませながら、眉毛を全部抜く
・陶芸による土いじりで手を荒れさせる
・卒倒しながらも、自らの歯を抜く
当時の女性は着物で全身を隠していたため、露出している「手」は顔とともに重要なチャームポイントでした。
その美しい手を、あえて汚すために始めた陶芸ですが、和歌を添えた焼き物は、その後「蓮月焼」として有名になり、偽物が出回るほど人気だったとか。
しかし、そんな努力をしても蓮月の容貌はあまり衰えなかったようで「二十歳以上若く見えた」との記述が残っています。ブサイクになるのは、美人になるのと同じくらい大変なことなのかもしれません。
芸者から映画女優、最後は尼僧になった女性
明治時代、新橋の芸者だった照葉。彼女は『全国新百美人』などの本や双六(すごろく)にのるほどの人気を集めたアイドル的な芸者さんでした。彼女の写真絵はがきは飛ぶように売れ、順風満帆かと思いきや、この人も最終的には「女」を捨て、俗世を捨てて尼になっています。その美貌と情熱的な性格からか、照葉にはトラブルがつきまといます。美しさ故に親に芸者として売られ、舞妓時代(15歳くらい)で旦那に小指を切り落として送りつけるという事件を起こします。
その後、映画関係者と結婚し、映画女優となるも、アルコール中毒になり、二度の自殺未遂をはかります。
離婚後は出家して尼になり、衰退していた祇王寺の庵主(あんじゅ)となりました。この祇王寺は、その美貌で平清盛に寵愛されたものの、飽きると捨てられてしまった白拍子・祇王にゆかりのある寺です。
古今東西、美しさのために苦労した女性が行き着く救いは、出家だったのかもしれません。
まとめ
幕末から近代にかけて「美女」と称賛された女性たちの人生を調べてみましたが、みなさん、あまり幸せではなかったようです。美しさを生かしてうまく立ち回るには、男の欲望を手玉に取り、女の嫉妬を受け流す屈強なメンタルが必要なのでしょうね。そうでなければ仏門に入らないと精神の安定が得られなかったのかもしれません。
ブサイクでも苦労しますが、美人でいるのも大変ですね…。
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