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奈良時代の花見は梅だった話

雪解けが始まり、春の息吹を感じる季節になってきました。もうすぐ桜が咲き始め、お花見シーズンに入ることでしょう。

「花より団子」という慣用句のシチュエーションを思い浮かべると、桜の観賞よりもお団子を食べたいと考えている食いしん坊の様子が頭に浮かびますが、かつては「花=梅」だとされていました。

和歌などでも梅を花と呼ぶことが多かったといいます。

今回は、奈良時代の花見は梅だった話について見ていこうと思います。

現代の花見といえば

現代の花見といえば「桜」だと思います。満開の桜の下にブルーシートを敷いて皆でわいわい花を見ることもあれば、奈良県の吉野山のような桜の名所に行って景色を楽しむこともあると思います。

入学シーズンに合わせて、明るくて華やかな印象がある桜ですが、実際に桜の花見が始まったのは平安時代からで、それまでは梅の花は観賞の対象でなかったといいます。

花見の起源は奈良時代

「花を見る」という行為が始まったのは奈良時代のことです。

もともと梅というのは日本の花ではなく、遣唐使によって中国からもたらされたものでした。当時は中国との貿易が盛んで、多くの物が日本に渡ってきていたといいます。

日本の貴族たちは香りのよい梅を見ながら、歌を詠むことを日々の楽しみとしていたのです。

桜は拝むものだった

日本に昔から存在する「桜」は神聖なものとして拝まれる対象でした。

名前の由来は諸説ありますが、神霊を意味する「さ」と神が住む「くら」をあわせて生まれた名前だという説もありますが。当時は田の神が来臨する花として信仰され、食べ物などをお供えしていました。

桜を見るようになったのは平安時代

梅の鑑賞が盛んでなくなったのは平安時代のことです。

894年に菅原道真が遣唐使の廃止を決定したことで、中国との関係が薄れ、日本独自の国風文化が重んじられるようになりました。

こうして日本では桜を見るようになり、花見=桜というイメージが生まれることとなったのです。

おわりに

いかがだったでしょうか。

現在は桜のほうが人気であるような様子ですが、4月頃には梅の名所も非常に賑わいを見せます。

梅の名所は全国各地にあり、東京都内にも池上梅園などの名所が存在しています。機会があれば梅の花見をしてみるのもよいかもしれません。

なるべく人混みのない時間帯を狙うほうがゆっくり鑑賞することができると思います。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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  この記事を書いた人
一茶 さん

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