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江戸城に天守閣がない本当の理由とは

皆さんは「江戸城」をご存じでしょうか?

260年もの平和が続いた江戸時代、その象徴となる江戸城には天守閣がありませんでした。正確に言うと、大火によって天守閣が焼失しても再建されなかったのです。

今回は江戸城に天守閣がない本当の理由について見ていこうと思います。

江戸城は誰の城?どこにある?

現在、江戸城のほとんどが焼失していますが、跡地には天皇の住む皇居が建っていることで有名です。東京都千代田区にあることから「千代田城」とも呼ばれています。

江戸城はその名前から、江戸時代に建てられたもので築城主は徳川将軍だと思われがちですが、実はまったくの間違いです。

江戸城は、1457年に扇谷上杉家の上杉持朝の家臣である太田道灌という人物が建てた城なのです。江戸幕府が開かれたのは1603年ですから、かなり前に築城されたことがわかります。

その後、徳川家康によって拡張工事が行われ、徳川家の居城となりました。

天守閣とは?

天守閣とは簡単にいえば豪華な天守を意味します。

天守はいわば城の頂上にある櫓です。天守閣は城の象徴ともなる軍事施設なので、かつては多くの城で採用されていましたが、その後はだんだんと防御設備というよりは城主の権威を示すものと変わっていきました。

明暦の大火で焼失するまでは、江戸城にも天守閣がありました。

全高約60メートルで、日本最大級の天守閣だったといいます。江戸時代は火事が多発した時代でもあり、江戸城も幾度となく焼失し再建を繰り返していました。

しかし、江戸城の天守閣だけは再建されない結果となりました。

なぜ江戸城の天守閣は再建されなかったのか?

その理由は主に2つあります。

よくいわれているのは、財政上の問題です。明暦の大火で城下町も焼け落ち、復興が必要な状況で、必要も無い天守閣にお金を割く余裕がなかったというわけです。

また、2つめの理由は人々への安心感です。先ほども触れたように、そもそも天守というのは軍事施設です。

武断政治から文治政治に切り替わった平和な世の中で、天守が再建されないことは戦のない安心感を人々に与えることができると考えたわけです。

おわりに

いかがだったでしょうか。戦の象徴でもある天守閣を再建しないことで、城下町住民に平和と安心感を与えることができたという話でした。

ちなみに徳川家康が建てた名古屋城には天守閣があり、現在も見ることができます。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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  この記事を書いた人
一茶 さん

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