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明治時代はスピリチュアルブーム?超能力と妖怪研究

明治時代、人々は文明開化の名のもとに、アメリカやヨーロッパの科学技術を多く取り入れました。そんな急速な進化の中、迷信や妖怪、幽霊など、日本古来の不思議文化は置き去られていきました…。

とおもいきや、実は明治時代は、非合理で非科学的であるはずの「妖怪」研究や、超能力など、数々のスピリチュアルブームが巻き起こっていたのです。

大学教授の妖怪研究

明治時代の大学教授の仕事といえば、欧米列強の技術を研究し、それを学生に習得させること…。の、はずなのですが、井上円了という風変わりな教授が研究したのは、なんと「妖怪」でした。

井上円了の研究は、単に妖怪を「不思議なもの」として怖がるのではなく、妖怪の成り立ちや仕組みについて、合理的に解明しようというものでした。

みんながよく知る「こっくりさん」についても、井上円了はすでに無意識の筋肉の動きであると原因をつきとめています。

井上円了は土地の伝承や文献を調べあげ、心理学や宗教、自然科学などから「妖怪はいない」ことを証明しようとしたのです。

そうした民間伝承の調査は、やがて柳田国男など民俗学の流れにつながっていきました。

女性超能力者の登場

妖怪研究の他にも、明治時代には一大超能力ブームが訪れます。そのきっかけは千里眼(透視能力)をもつ女性たちの登場でした。

御船千鶴子は千里眼を持つとして注目を集めました。日露戦争中に行方不明の艦隊の安否、木の裏側にいる虫の存在などを透視し、世間を驚かせました。

興味深いのは、こうした非科学的な超能力を大学教授が学問として検証しようとしたところです。福来友吉という東大(当時は帝大)教授は、真剣に超能力を研究し、公開実験を行うことで超能力を科学的に実証しようとしました。

しかし、御船千鶴子は公開実験で思うように力が出せず、詐欺師呼ばわりされ、自ら命を断ってしまいました。
その後も長尾郁子、高橋貞子といった超能力者が実験に参加しましたが、いずれもかんばしい成果は得られず、福来教授も糾弾されて研究を断念しました。

ちなみにこの高橋貞子は、ホラー小説『リング』の貞子の名の由来となった人だそうです。

まとめ

ハレー彗星が来た明治43年、人々の間で「空気がなくなる」というデマが飛びかい、空気を吸うために自転車のチューブが飛ぶように売れたそうです。

この「自転車のチューブ」というのが、迷信と科学技術が合体した、いかにも明治らしいエピソードだなと思います。

明治時代は、これまで謎のものとされてきた「不思議」を「科学」で立証しようと試みた時代でした。

しかし、皮肉なことに「不思議」と「科学」が融合することで、超能力など近代独特のスピリチュアルブームを作り出しました。

どんなに科学が発達し、不思議なことが解明されようとも、人々はその時々で最新の技術と迷信や謎を組み合わせて、新しい不思議を作り出していくのかもしれませんね。

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  この記事を書いた人
日月 さん
古代も戦国も幕末も好きですが、興味深いのは明治以降の歴史です。 現代と違った価値観があるところが面白いです。 女性にまつわる歴史についても興味があります。歴史の影に女あり、ですから。

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