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姫路城は、黒田官兵衛の進言で秀吉が築き、輝政が作り上げた
- 2022/03/22
【目次】
兵庫県姫路市にある世界遺産国宝姫路城は、真っ白で非常に美しい平山城です。太平洋戦争の空襲で古い城下町の街並みは、ほぼ失われましたが、奇跡的に残った大天守と小天守のおかげで、四方八方どの角度から見ても違う美しさが楽しめます。
この姫路城、どうしてこんな田舎にこんな大きいお城が出来た?誰がいつ作ったの?どんな歴史があるの?という疑問にお答えしますね。
1、最初は南北朝時代の赤松氏、その後は黒田氏の城館
姫路城のある場所は、「姫山」といい、古名を「日女路(ひめじ)の丘」と称していて、「播磨風土記」にも登場するという古い土地柄です。姫路城の始まりは、1346年(南朝正平元年、北朝貞和2年)赤松貞範が築城したとされています。もちろん、今と違ってかなり小規模な館でした。
その後、戦国時代後期に西播磨に勢力を持ち、御着城を居城とした小寺氏に仕えた、あの黒田官兵衛孝高の祖父重隆が城館を立てて住んでいました。もちろん官兵衛孝高はここで生まれたということです。
2、羽柴秀吉の中国征伐の拠点となる
そして黒田官兵衛孝高が後を継ぎ、主君小寺氏に進言して織田信長と同盟を結んだのですね。信長の命令で播磨、中国担当としてあの羽柴秀吉が乗り込んできたので、天正5年(1577年)、官兵衛は自分の姫路城を秀吉に提供したのです。
3、現在の姫路城の基礎を作ったのは秀吉だった
天正8年(1580年)、三木城や英賀城(あが)を落として播磨平定後、官兵衛は秀吉に姫路城を本拠地として居城にするよう進言。そして自分は父の隠居所の姫路城の南西にあった国府山城(こうやまじょう)に移りました。秀吉は、その年の4月から翌年3月にかけ、城館を大改修して近世城郭にしました。当時の流行最先端の石垣で城郭を囲って3層の天守まで作り、姫路城と改名。さらに、城の南部に城下町を形成し、城の北部を走っていた山陽道を城の南の城下町を通るように曲げたのです。
そういうわけで、現在の姫路城の基礎、城下町を作ったのは秀吉なのです。
そして秀吉は、この姫路城から鳥取城干殺しに出陣し、また備中高松城水攻めにも赴き、あの「中国大返し」の際は、岡山から必死で姫路城目指して帰って来ました。光秀との山崎合戦のために出て言ったので、姫路城は「出世城」といわれるように。
姫路城にはその後、秀吉の弟秀長、次に秀吉夫人寧々の兄木下家定が入るなど、なかなか重要な城だったのですね。
4、関ヶ原合戦の戦功で、池田輝政が城主に
その後、慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いの戦功で、池田輝政が三河吉田15万石から播磨52万石をゲットして姫路城主となりました。輝政は、徳川家康の娘婿だったので、豊臣恩顧の大名の多い西国を牽制する役目を持っていました。それに、弟や息子ら分を合わせると池田家はほぼ100万石の大名だったのです。
なので、翌年から8年掛けて姫路城を大改修というか一から作り上げて、現在のような大規模な城郭が築けたのです。
5、江戸時代は転々と城主が変わった
元和3年(1617年)、池田家は跡を継いだ光政が幼少だったので、山陽道の要衝を任せるには不安だとして因幡鳥取へ転封となり、伊勢桑名から本多忠政が15万石で姫路城主となりました。なお、忠政の息子忠刻が、大坂夏の陣から助け出された秀忠の長女千姫と結婚し、千姫が10万石の化粧料を持ってきたので、西ノ丸を増築しました。
その後、姫路藩は、譜代か親藩が領したのですが、代替わりで幼主となるとすぐに転封となったため、本多家の後は奥平松平家→越前松平家→榊原家→越前松平家→本多家→榊原家→越前松平家→酒井家、と変わりました。
また、元々100万石で築かれた大きな城の維持費は、15万石の譜代大名にはかなりの負担だったということです。
まとめ
赤松氏の城館から始まり、後に3大城づくり名人と言われた官兵衛孝高の助言で秀吉が居城として城下町としても整備し、池田輝政が西国大名への抑えとして築いた姫路城は、実は一度も戦争にあっていません。また、江戸城にも似せていたということで、映画や時代劇では「江戸城」として撮影されることも多いです。
明治維新後は陸軍省の管轄となり陸軍が駐屯していたこともあって、太平洋戦争でアメリカ軍の標的となりました。しかし大規模な空襲で城下町の街並みは全滅したのに、なんと天守閣に撃ち込まれた焼夷弾はすべて不発弾で焼失を免れたのです。
このため、現在では「パワースポット」としても人気で、千姫が拝礼した西ノ丸の化粧櫓からの「千姫天満宮」 (イケメン忠刻と結ばれたため、恋愛成就のパワースポットとされている) の待ち受けとともに、歴史ファン以外の注目も熱いよう。天守閣だけで城主の居館は残っていませんが、4月の桜の時期は特に美しいのでお勧めです。
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