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『吾妻鏡』で読む大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(5)以仁王の敗死

『鎌倉殿の13人』第3回「挙兵は慎重に」の続きです。

以仁王(演:木村昴)と源頼政(演:品川徹)は、平家政権の打倒と後白河法皇救出を掲げて京で挙兵し、源行家(演:杉本哲太)を使者として、日本各地の源氏に決起を呼びかける令旨(りょうじ)を発しました。そして20年間の流人生活を耐え、挙兵の機会をうかがい続けている源頼朝(演:大泉洋)のもとにも、この令旨が届きました。

ドラマ第3回では、この令旨にただちに応じるべきか否か、揺れ動く頼朝の姿が描かれました。頼朝は、自分こそが源氏の嫡流だというプライドゆえに、平家討伐を主導する者も自分でなければならないという野心を燃やしています。頼政ごときに平家を滅ぼされてはならないのです。

したがって、もし頼政たちの挙兵が成功しそうなら、一刻も早く自分たちも行動を起こして、平家討伐の主導権を握らなければいけません。逆に、もし頼政たちの挙兵が失敗しそうなら、自分たちも下手に動くことはできません。しかし京から遠く離れた伊豆の地で、その予測を正確に立てることは困難です。ただ、書状などによる断片的な情報から判断するほかありません。

このようなシチュエーションは、三谷幸喜氏が前回手がけた大河ドラマ『真田丸』(2016年放送)を彷彿させます。『真田丸』の前半では、信濃国の豪族・真田昌幸(演:草刈正雄)の、北条・今川・徳川・上杉ら有力大名の間を泳ぎ回って生き残りを図る苦心が、時にはユーモラスに、時には冷酷に描かれました。『鎌倉殿の13人』における、伊豆国の豪族・北条氏を後ろ盾にした頼朝の生き残り戦略も、これに似ているように思います。

そして『真田丸』では、主人公・真田信繁(演:堺雅人)が関わらなかった事件は描かないという方針が採られました。これにより、本能寺の変を約20秒、関ヶ原の戦いすら約50秒、どちらもほとんどナレーションのみで片づけるという、戦国大河としては斬新な手法で話題をさらったものです。

『鎌倉殿の13人』でも、以仁王の挙兵の顛末は、京にいる頼朝の協力者・三善康信(演:小林隆)が発した2通の書状によって知らされるのみとなりました。1通目の発信日は5月22日、以仁王が京の東郊にある園城寺(現在の滋賀県大津市)に入り、頼政の軍勢も合流して、意気盛んであるというもの。2通目の発信日は5月26日で、頼政たちの軍勢が平家の大軍によってあっけなく攻め滅ぼされたというものでした。この2通の書状が、北条館には、どちらも6月2日に同時に届いたという設定です。

のちに鎌倉へ下り、鎌倉幕府問注所初代執事に就任し、「鎌倉殿の13人」の一人となって幕府の重鎮の地位を占める三善康信ですが、この時点では朝廷に仕える下級貴族でした。『吾妻鏡』治承4年6月19日条には、康信の母が頼朝の乳母の妹であったために、康信も源氏に心を寄せ、「毎月三ヶ度〔一旬各一度〕の使者を進(まい)らせ、洛中の子細を申す」とあります。「一旬」(いちじゅん)とは、10日という意味です。10日に1度、1か月に3度の割合で、康信は頼朝へ定期的に京の情勢を知らせていたのです。

ただし、ドラマ内に登場した、康信の2通の書状は、どちらもフィクションです。実際のところ、『吾妻鏡』には以仁王の挙兵の顛末は記されているものの、それをいつ誰が頼朝に知らせたのかは書かれていません。

書状の内容について点検してみましょう。1通目の書状は5月22日ですが、この日までに以仁王が園城寺に入り、頼政の軍勢が合流したこと自体は、史実の通りです。ただし、ドラマ内では頼政軍の意気も盛んで、挙兵の成功は間違いなしというような描かれ方になっていましたが、それはちょっと無理があります。

『吾妻鏡』によれば、以仁王が挙兵を企てて令旨を発したことは、早くも平家に察知されてしまいました。5月15日、以仁王を逮捕して土佐国(現在の高知県)へ配流するよう命令が下ります。以仁王は同日のうちに御所を脱出し、園城寺に逃れました。5月19日、頼政は自邸を焼き払って、以仁王のもとへ馳せ参じました。要するに、彼らの挙兵は、ドラマ内で言われていたほどには有望なものではなく、むしろ、計画が露見したためにやむを得ず決起に追い込まれたというべきものです。いくら康信が源氏びいきでも、そうそう楽観的な書状を書けるでしょうか。

引き続き『吾妻鏡』によれば、5月26日、以仁王は園城寺を出て、奈良の興福寺を頼ろうとしました。そこへ平家の追討軍が追いつき、京の南郊の宇治(現在の京都府宇治市)で合戦になりました。頼政はここで自害し、以仁王も奈良へ逃げる途中、光明山寺(現在の京都府山城町)の鳥居の前で討ち取られました。こうして、以仁王の挙兵は、わずか10日余りで鎮圧されてしまったのでした。

ドラマ内の2通目の書状は、その26日に書かれたという設定です。京にいる康信が、宇治の合戦の顛末を、その日のうちに知って書状に記すことができるかどうか。不可能ではないかもしれませんが、やはりちょっと無理があるような気もします。

長々と述べましたが、要するに、ドラマ内における康信の書状は、以仁王の挙兵に対する期待をできるだけ盛り上げておいて、それがあっという間に潰えてしまうという落差を演出しています。しかも、2通の書状が同時に届くという設定によって、その落差はさらに高められているわけです。

頼朝は書状を読み終わって、息をつきました。北条政子(演:小池栄子)が「挙兵しなくて、ようございましたね」と喜ぶと、頼朝は「つまらぬことを言うな」とたしなめましたが、心中では政子と同じように、命拾いをしたと思ったことでしょう。

そして頼朝は、殊勝な様子で経を読み上げ、頼政の冥福を祈り始めますが、ひそかに口角を上げて、にやにやとほくそ笑みます。平家を滅ぼすのはあくまでも自分でなければならないので、頼政の挙兵が失敗したのは、むしろ都合がよい。その冷酷なプライドと野心を表現した場面といえるでしょう。

「挙兵は慎重に」――頼朝はこうして、今回も難を逃れたかのように見えました。しかし、三善康信からのさらなる知らせによって、頼朝は運命を動かされることとなります。

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  この記事を書いた人
愛水 さん

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