※ この記事はユーザー投稿です

現代の非常識は昔の常識。麻薬もピストルも自由に買えた時代があった

明治初期、自由に買えたピストル

『広告批評』の代表、天野祐吉さんの著書『もっと面白い廣告』では、明治から昭和初期にかけての広告を紹介しています。

その中には、現代ではありえない驚くべき広告がありました。
なんと、明治時代初期はピストルが自由に売買されていて、広告まで出されていたのです。

明治十五年のピストル銃の広告には「護身用」「強盗を防キ」「第一の攻器ナリ」と物々しいキャッチコピーが並んでいます。

そういえは大久保利通も明治に入ってから暗殺されましたし、板垣退助も暴徒に刺されていましたから、政治家や財界人が護身用としてピストル銃を買っていたのかもしれません。

明治初期はまだ治安が悪く、郵便配達夫は強盗よけとして法律で六連式銃を持たされていたそうです。それは警察官の拳銃携帯よりもずっと早かったのだとか。

ピストルの他にも、今では考えられない商品が売られていました。「大麻煙草」なる怪しげな品の広告は、ぜんそくの「薬」として当時は普通に売られていたようです。麻薬に関しても自由に買えていた時代があったんですね。

そして、昭和に入ると麻薬を堂々と「商品」として販売をはじめたのが日本の民間企業でした。

戦前の中国大陸、民間企業が麻薬を堂々と売っていた

戦前、日本は現在の中国東北部を実質的に支配し、「満州国」という傀儡(かいらい)政権を打ち立て、中国の支配をもくろんでいました。そうした状況下で当時、軍の資金調達方法として注目されたのが麻薬のアヘンです。

そして、中国で麻薬のアヘンを売買していたのが「アヘン王」といわれた里見甫でした。

驚くべきことに、この人の肩書は軍人ではなく、民間人なんです。軍部との連携はありましたが、表向きは会社としてアヘンを販売していたそうです。

三井物産などの総合商社の出資と、日本軍の特務機関などと連携してアヘンを売るための会社をつくり、中国の秘密結社・青幇などとも連携して、満州や上海など中国でアヘンを売りまくったそうです。

いくら軍部が絡んでいるとは言え、一介の民間人が堂々と麻薬を売っていた時代があるなんて、今の常識では考えられませんね。

戦後、当然そんな派手なことをしていたので、里見はGHQに目をつけられて投獄されましたが、なぜか証拠不十分で釈放されたそうです。このあたりにも歴史の闇を感じます。

まとめ

戦前から戦後のある時期まで「ヒロポン」という覚醒剤が「疲労をポンととる」薬として普通に売られていました。

野球選手やミュージシャンなどが愛用していたそうですが、麻薬取締法が制定されると医療目的以外の使用は違法となりました。ピストルも今の日本では警察官、自衛隊員など一部の職業でしか扱うことができません。

このように、現代では犯罪であるピストルや麻薬の売買も常識だった時代がありました。

そう考えると、私たちが今この時に常識だと考えているものも、未来には非常識となってしまうのかもしれませんね。

※参考書籍:『上海時間旅行』『もっと面白い廣告』

※この掲載記事に関して、誤字脱字等の修正依頼、ご指摘などがありましたらこちらよりご連絡をお願いいたします。

  この記事を書いた人
日月 さん
古代も戦国も幕末も好きですが、興味深いのは明治以降の歴史です。 現代と違った価値観があるところが面白いです。 女性にまつわる歴史についても興味があります。歴史の影に女あり、ですから。

コメント欄

  • この記事に関するご感想、ご意見、ウンチク等をお寄せください。