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平安貴族の1日に密着してみたら衝撃の事実が!
- 2022/02/17
平安時代は現代のように電気がありません。ということは、日が昇ってから活動をはじめ、日が落ちる前に寝床へついていたのでしょうか。
優雅なイメージの平安貴族の1日に密着してみると、意外な一面に気付くことになるかもしれません。では、早速見ていきましょう。
優雅なイメージの平安貴族の1日に密着してみると、意外な一面に気付くことになるかもしれません。では、早速見ていきましょう。
午前3時に起床
平安時代の貴族はなんと午前3時頃に起床していたといいます。基本的に日の出は6時過ぎですので外は真っ暗でしょう。なぜ午前3時かといいますと、その時間に天皇が住んでいる「内裏」の門が開かれるからだそうです。門を開くときには太鼓でお知らせがあったので、嫌でも起きてしまうといったところでしょうか。
お化けが出ると有名な「丑三つ時」は三つとはいうものの、現代の時刻でいう午前2時~2時半あたりを指すので午前3時起床はギリギリセーフだったようです。
星の名前を7回連呼
私たちが起きてからまずすることといえば、顔を洗ったり朝食を食べたりすることなどが一般的ですが、平安貴族のルーティンでは自分の星の名前を7回唱えることが普通でした。これは「北斗信仰」に基づいたものです。人間の寿命や幸福というものは生まれた年の干支で決まるという考え方です。
運勢を確認
その次は暦から今日の運勢を見ていきます。これは私たちもかなり身近なものではないでしょうか。朝のニュース番組のお天気の時間には今日の運勢がランキングで示されますよね。こういったものを信じる人も信じない人も意外と自分の運勢だけは見てしまうものですよね。
平安時代は現代以上にこれらに縛られて生活していました。暦によっては、一日中家に籠もる物忌みや特定の方角を避ける方違えなどが行っていたのです。
朝食
運勢の確認後にも祈りや日記付けなどをしていたといわれていますが、それらが終わってようやく朝食をとることになります。平安時代は1日2食だったので朝はたくさん食べたいところですが、まだ午前6時になるかならないかくらいの時間なので、そんなにたくさんは食べられないですよね?
そのため、これは朝食といっても現代でいうとお菓子を食べるようなもので食事扱いではありません。そうして身なりを整えたら仕事へ向かいます。
仕事
平安時代に仕事なんてあったの?と思う方もいらっしゃるかと思います。歌を詠っていたり恋愛に勤しんでいたりするイメージ通りの貴族というのは上流の人達です。上流貴族は朝なんて起きずに昼の12時ごろに少しだけ会議をして遊んでいたといいます。中流貴族には清少納言や紫式部のような教育係・文筆家が多くいました。
下流貴族は宮中の掃除や格子の上げ下げなど、業務を分担して行っていました。仕事が終わるのは午前11時くらいですが、その後は午後の勤務と夜間の勤務で分かれて仕事をしていたそうです。
夜間の仕事といえば、主に宮中の見回りを行うことでしたので、深夜まで仕事をしていたこともあるそうです。
昼食
これが今日初めての食事です。午後の勤務がない者はそれから自由な時間となります。平安時代の遊びとしては、女性の間で流行った貝合わせや鞠を蹴り合う蹴鞠、双六や囲碁、競馬や闘鶏なども盛んだったとされています。
蹴鞠というのはサッカーと似たイメージをもたれていますが全く異なります。蹴鞠はパスゲームで勝敗はありません。華麗に良いパスをするというよくわからない遊びなのです。
相手が鞠を上手く受け取れなかった場合はパスをした側の責任になるため、相手が鞠を蹴りやすいように心がけてパスを回すゲームだそうです。
夕食
午後4時頃に本日2度目の食事をとります。夕食後も基本的に自由時間なので、勉強などにあてていたのでしょうか…。ただし、夜間会議や宴会なども頻繁に開かれていたため、それらに参加する必要がありました。そのように考えるとかなり現代と通ずるものがあるように感じますね。
おわりに
いかがだったでしょうか。下流貴族は意外と忙しい生活をしていたようですね。この格差は現代と通ずるところがあるかもしれません。夜中まで宴会をして、午前3時に起きる平安貴族の生活はあまり見習わない方がよいかもしれませんね。
お読みいただきありがとうございました。
※参考文献
・日向一雅「源氏物語と平安貴族の生活と文化についての研究--貴族の一日の生活について」、2004年
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