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群馬県の名物「上毛かるた」の登場人物について

みなさん「上毛かるた」というものをご存じでしょうか?知っている、という方は群馬県在住か、群馬県に居住経験がある方だと思います。かくいう私も群馬県出身です。

「上毛かるた」はいわゆるご当地カルタで、群馬の歴史・偉人・名所旧跡などを紹介しています。
群馬の子どもたちは、小さい頃から「上毛かるた」に出てくる偉人や名所旧跡を、カルタの札とともに覚えてゆくものでした。

また、「三つ子の魂百まで」と言うように、大人になってからもカルタの札に書かれた偉人の名前は忘れず、そらんじることができるのです。

しかし、大人になってから何気なくカルタに書かれた群馬の偉人たちの経歴を調べてみたところ、実はあまり群馬に関係がないという事実を知った時は、結構な衝撃でした…。

そんなわけで、群馬県出身の偉人とその関わりのなさを、「上毛かるた」の札とともにご紹介します。

「こ」心の燈台 内村鑑三

明治のキリスト教思想家でこの人も新島襄と同じく高崎藩の「江戸屋敷」で生まれています。ベースは群馬でも江戸っ子なんですね。お墓も東京です。

「へ」平和の使い 新島襄

大河ドラマ「八重の桜」の主人公・八重の夫である新島襄。実はこの人の生まれは「安中藩江戸屋敷」。つまり江戸で生まれ育った生粋の江戸っ子なのです。

アメリカ留学後は京都在住で墓も京都。しかしその後、父祖の地である安中にキリスト教の布教をしたり、教会を建てたりと、他の偉人と違って、地元との関わりは少しはあったようです。

「ほ」誇る文豪 田山花袋

田山花袋といえば、『蒲団』『田舎教師』など自然文学の文豪として名高いのですが、実はあまり群馬とは関係がありません。

若くして上京したため、お墓は東京にあります。群馬で生まれましたが、花袋が生まれた当時の館林は栃木県だったそうです。

「れ」歴史に名高い 新田義貞

新田義貞は群馬県に領地を持っていた鎌倉時代末期の武将です。小さい頃は「太刀を海に奉じて潮が引いた」などの逸話に、かっこいい偉人だなと思ってました。

しかし、その後大河ドラマ「太平記」を見たら、足利尊氏にコテンパンにやられたり、好きな女官と別れを惜しんでいるあいだに遅れをとったりしていて、ちょっとがっかりしたものです。

まあでも、「太平記」の記述は勝ち組の足利氏が書いたものですから、史実とは違う部分もあるとのこと。前半はかっこいい武士として活躍しましたのでやはり「歴史に名高い」というだけあります。

新田義貞もまた群馬から離れて京都へ行き、最後は越前藤島(現在の福井県)で討ち死にしたため、やはりお墓は群馬にありません。

「わ」和算の大家 関孝和

ベストセラー「天地明察」にも登場した、江戸時代の天才数学家である関孝和。この人に至っては「群馬でうまれたかもしれない」ってレベル。江戸で活躍していましたし、お墓も江戸(東京)にあるそうです。

まとめ

「上毛かるた」にはこの他にも「沼田城下の塩原太助」など、後に豪商となった沼田出身の塩原太助も取り上げられていますが、彼もまた江戸へ出て大成したため、お墓は江戸(東京)にあります。
どうも、「上毛かるた」に取り上げられた偉人たちは群馬で生まれ、他の土地で成功をおさめ、そのまま骨を埋めるというパターンが多いようです。

カルタ選出の背景として、特に江戸から明治にかけての偉人はたとえ東京(江戸)生まれでも、出身藩が群馬県内だということで選出されたらしいです。本当は国定忠治とかも入れたかったらしいけど、GHQの許可がおりなかったんだとか。

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  この記事を書いた人
日月 さん
古代も戦国も幕末も好きですが、興味深いのは明治以降の歴史です。 現代と違った価値観があるところが面白いです。 女性にまつわる歴史についても興味があります。歴史の影に女あり、ですから。

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