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連歌発祥の地といわれる甲府の酒折を歩く

JR中央本線のJR 酒折駅で降りて、ロータリーを抜けると城東通りに出る。通りに出たら右折すると、1つめの信号に「酒折宮入口」とある。
 信号を右手へ、広くはないがどこか情緒のある道を歩くと鳥居があり、ここが参道であることがわかる。この道を抜けて、踏切を渡ったところに酒折宮はある。

 酒折宮は、ヤマトタケル(日本武尊)を祭神とする神社。決して大きくはないがその歴史は古く、『古事記』や『日本書紀』にはヤマトタケルは東夷征伐の帰りに常陸国から甲斐国の酒折宮に立ち寄ったとの記述がある。

 夜、日本武尊が、
 「新治筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」
 (新治や筑波を過ぎて、幾晩の旅寝をしただろう)
と問いかけると、
 御火焚(みひたき=火守り)の者が、
 「日日(かが)なべて 夜には九夜 日には十日を」
 (日数を重ねて、夜は九晩、昼は十日になります)
と詠み返した。
 日本武尊はこれに感動し、この老人を「東造国(あづまのくにみやつこ)」に任命したという。

 この問答歌のやりとりが日本の連歌の起源であるとされ、酒折は〝連歌発祥の地〟といわれている。
 連歌とは、2人以上で上の句と下の句を詠み合う和歌の形式だ。酒折では、連歌発祥の地にちなみ毎年「酒折連歌賞」が開催されている。
 清々しく厳かな酒折宮では、「ヤマトタケル」と「長ける」を意味する諸芸上達の「タケル守」を授かることができるので、文芸好きな方にもおすすめのスポットだ。

 酒折の地名は「坂下」とも「坂(阪)折」とも書くのだとか。酒折宮が建つ場所は、坂が折れ曲がったところであり、坂を下りたところでもある。地名の由来には「坂(道)が折り重なる」という意味もあるという。

 江戸時代後期の編纂された「甲斐国志」には、
「本州九筋ヨリ他州ヘ達スル道路九條アリ皆路首ヲ酒折二起ス」
とあり、甲斐から他国に通じる甲斐古道(九筋)はすべて酒折を起点とされていたと記されている。

 甲斐九筋(かいくすじ)とは、「河内路(駿州往還)」「右左口路(中道往還)」「若彦路」「御坂路(鎌倉街道)」「萩原口(青梅街道)」「雁坂口(秩父往還)」「穂坂路」「大門嶺口(棒道)」「逸見路(信州往還)」のこと。

 酒折駅から城東通りを東に向かった山崎三差路の近くには、2019年に整備された「甲斐の古道歴史公園」がある。ここでは甲斐九筋と甲州街道が刻まれた黒御影石のモニュメントが酒折の歴史を伝えている。


 そして、近くにはヤマトタケルに由来する神社がもう1つ。水害に苦しむ人々の様子を見たヤマトタケルが景勝地に1つの珠を埋め、国玉大神を祀り、その上に杉一株を植えたといわれ、後にこれを玉室杉と称したことにはじまるのが甲斐之国三之宮でもある玉諸神社だといわれている。


参考
酒折宮公式サイト
山梨県神社庁ホームページ

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  この記事を書いた人
KOBAYASHI Sayaka さん
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