飛鳥時代に遡り、全国に系譜が広がる一大氏族!「藤原氏」の家紋とは?

「藤原氏」の家紋イラスト
「藤原氏」の家紋イラスト
 中世から近世まで、日本では幕府と朝廷という二つの政権が併存するという特殊な状況が続いていたのは周知のとおりです。もちろん実際の政府運営は幕府によって行われていましたが、平安時代までは天皇を中心とした朝廷が執政しており、公家、つまり貴族による政権であったことが特徴です。

 ここで日本史上の貴族をイメージしたとき、真っ先に思い浮かぶのが「藤原氏」ではないでしょうか。朝廷内で絶対的な権力を振るったことで有名な藤原道長を筆頭に、貴族の筆頭格として繁栄した氏族が藤原氏です。しかし藤原氏には貴族としてだけではなく、武人として名を残した武門の家流も多く存在しています。その源流は飛鳥時代にまで遡る伝統ある藤原氏ですが、実際にはどのような氏族だったのでしょうか。

 本記事では藤原氏の出自と系統を概観し、彼らがどのような家紋を使っていたのか、探ってみることにしましょう。

「藤原氏」の出自とは

 最初に「藤原」の姓を賜ったのは、中大兄皇子を補佐して大化の改新の立役者となった中臣鎌足です。

 中臣氏は本来、朝廷の祭祀や神事などを司った古代豪族でした。天智天皇8年(669)、鎌足はその勲功に対し、死の直前に大織冠の位、内大臣の職、そして藤原の姓を下賜されました。

 藤原の名は鎌足の旧居があった大和国(現在の奈良県あたり)高市郡の地名に由来し、文武天皇2年(698)の詔勅で鎌足の嫡嗣・不比等が藤原姓を継ぐこととなりました。その際、不比等以外の家流は元の中臣氏としていることから、元来藤原は鎌足の嫡流についての姓といえます。

 不比等は娘を入内させることで二代にわたる天皇の外戚となっており、女子を後宮に送るという藤原氏の政略はこの時代にすでに完成していました。不比等の四人の息子は公卿に列して「藤原四家」と呼ばれる家流の祖となりましたが、天平9年(737)に疱瘡が大流行したことで次々に死亡。各家の間で激しい利権争いを繰り返しながら、平安時代初期には不比等次男・房前(ふささき)を祖とする「北家(ほっけ)」が嫡流の位置におさまりました。

 平安時代中期に摂政・関白の職を独占する摂関家としての最盛期をつくったのが、藤原道長・頼通父子でした。頼通が外戚を築かなかったことも一因となり藤原氏は徐々に衰退していき、鎌倉時代に入ると近衛(このえ)・鷹司(たかつかさ)・九条・二条・一条のいわゆる「五摂家」へと分かれます。

 この流れは江戸時代まで続く一方、藤原一族のうちには地方で武士化して力を持つ集団もありました。戦国武将のうちにも藤原氏を祖とする者がいるのはこのためで、貴族だけではなく武家としての藤原氏も隆盛したことが理解できます。

五摂家の略系図
※参考:五摂家の略系図

藤原氏の紋について

 藤原氏の紋としてもっとも有名なものは「藤」です。その名のとおり、垂れ下がって咲く藤の花を図案化したものですが、地名に由来する藤原という姓を自然に表していることがうかがえます。

家紋「藤」
家紋「藤」

 ただし、必ずしも藤原=藤というわけではなく、いくつにも分かれた各家流で異なる紋を用いることも珍しくありませんでした。

 例えば同じ北家の流れであっても「良門流(よしかどりゅう)」では「巴紋」、「頼通流(よりみちりゅう)」では「葉菊紋」を使い、「師尹流(もろただりゅう)」に至っては「三つ石だたみ紋」という珍しい紋を用いています。また、五摂家のうち九条・二条・一条の各氏は藤系統の紋でしたが、近衛・鷹司では牡丹を家紋としていました。

家紋「青山菊」
家紋「葉菊」
家紋「三つ石だたみ」
家紋「三つ石だたみ」

藤原氏の系譜に連なる戦国武将たち

 地方に赴任して武士化した藤原氏の一族がいたことは先に述べたとおりで、戦国武将にもその末裔となる有名な人物が挙げられます。

 例えば「独眼竜」と称される東北の雄・伊達政宗。家紋は「竹に雀」を用いていますが伊達宗家初代・伊達朝宗が藤原氏山蔭流の系譜と考えられています。また、「越後の龍」上杉謙信が家督を継いだ山内上杉氏も藤原氏に連なる一族で、上野平井城主の扇谷(おうぎがやつ)上杉氏も同様です。

 平将門の乱鎮圧に武功のあった藤原秀郷(ひでさと)を祖とする秀郷流も武家藤原氏の名門で、「豊後の王」として有名なキリシタン大名・大友宗麟や信長の娘婿・蒲生氏郷などがこの流れを汲んでいます。

 藤原氏そのものの分母が大きく、地方官として赴任したケースもよく見られるため、藤原氏を祖とする武将は他にも全国に分布していることが認められます。



おわりに

 日本の苗字では加藤・佐藤・伊藤・近藤・遠藤・斎藤・新藤・工藤・藤井等々、「藤」の字をもつ苗字がとても多いことが知られています。これらは高確率で武家を中心とした藤原氏に由来しているといわれ、その一族が実に広範に分布したことの証といえるでしょう。

 権勢を極めた大貴族としてのイメージが強い藤原氏ですが、各地に土着して強力な武士団を築いた武人たちも多く存在しました。もし「藤」の字を苗字に持っていたとしたら、そのルーツを探ってみるのも面白いのではないでしょうか。



【主な参考文献】
  • 監修:小和田哲男『日本史諸家系図人名辞典』(講談社、2003年)
  • 『歴史人 別冊 完全保存版 戦国武将の家紋の真実』(KKベストセラーズ、2014年)
  • 『国史大辞典』(ジャパンナレッジ版)(吉川弘文館)
  • 『日本大百科全書』(ジャパンナレッジ版)(小学館)

※この掲載記事に関して、誤字脱字等の修正依頼、ご指摘などがありましたらこちらよりご連絡をお願いいたします。

  この記事を書いた人
帯刀コロク さん
古代史・戦国史・幕末史を得意とし、武道・武術の経験から刀剣解説や幕末の剣術についての考察記事を中心に執筆。 全国の史跡を訪ねることも多いため、歴史を題材にした旅行記事も書く。 「帯刀古禄」名義で歴史小説、「三條すずしろ」名義でWEB小説をそれぞれ執筆。 活動記録や記事を公開した「すずしろブログ」を ...

コメント欄

  • この記事に関するご感想、ご意見、ウンチク等をお寄せください。