「武田信義」以仁王の令旨を受けて甲斐で挙兵し、富士川の戦いで平家軍を敗走させた武将
- 2022/03/18
武田信義(たけだ のぶよし)は、源頼朝と同じく河内源氏の血筋で、源平の戦いでは源氏方として活躍しました。一般には頼朝軍と平家軍(維盛軍)の戦いとして知られる富士川の戦いですが、実際の源氏方の主力は信義であったといわれます。
甲斐源氏の棟梁
武田信義は、大治3(1128)年に甲斐源氏の武田清光の子として生まれました。甲斐源氏は、河内源氏の頼朝と同様に清和源氏の流れを汲んでおり、河内源氏の二代目・頼義の三男で新羅三郎と称した源義光を祖とする一族です。甲斐守として地盤を築き、三男の義清(信義の祖父にあたる)が「武田」を称しました。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で信義は「我こそは源氏の棟梁」と自称しています。上記のように正当性はありますが、血筋でいえば河内源氏の棟梁を父にもつ頼朝と比べるとやや見劣りします。
富士川の戦いで平維盛を敗走させる
『平家物語』には甲斐源氏の活躍は見られないためか信義はあまり有名ではありませんが、甲斐源氏も平家との戦いで大いに活躍しました。歴史書『吾妻鏡』に信義が登場するのは、治承4(1180)年9月です。9月10日条を見ると、信義は子の一条忠頼とともに頼朝の軍に加わろうと考えてはじめ駿河国に向かい、しかし平家方が信濃国にいると知るとそちらへ向かって、諏訪から伊那谷(現在の長野県南部)に進んで平家方の菅冠者を討った、とあります。
※参考:「治承・寿永の内乱(源平合戦)」の主な戦の一連の流れ
治承4年 (1180年) |
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寿永2年 (1183年) |
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寿永3年 (1184年) |
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元暦2年 (1185年) |
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9月に戦っていたということは、頼朝挙兵と同じころに信義も挙兵していたのでしょう。『吾妻鏡』8月25日条には、石橋山の戦いで頼朝を大敗に追い込んだ大庭景親の弟・俣野景久(またのかげひさ)を、信義と同じ甲斐源氏の安田義定が討った(波志田山合戦)とあります。
信義は木曾義仲と同じく、当初は頼朝とは別に、独自に行動していたものと思われます。『吾妻鏡』からは頼朝方が北条時政を通じて信義ら甲斐源氏と連絡をとった様子はうかがえますが、この時点で甲斐源氏がすぐさま頼朝の下についたと見ることはできません。
10月には、平家方が水鳥の羽音に驚いて逃げたという『平家物語』のエピソードで知られる富士川の戦いが起こりました。平家方は清盛の孫・平維盛を大将とした追討軍を下向させ、源氏方と戦いました。
この戦いに頼朝は富士川近くまで軍を進めましたが、活躍したのは頼朝の軍ではなく、信義ら甲斐源氏(および信濃源氏)軍でした。『吾妻鏡』は甲斐源氏が頼朝指揮下にあったかのように記していますが、実際にそうであったかは疑問です。九条兼実の日記『玉葉』によれば、富士川の戦いで主に戦ったのは甲斐源氏であり、頼朝軍は関わっていなかったとか。
実際の戦いはというと、20日の夜、信義の軍が平家の維盛軍の背後に回ろうとしたところ、その動きに驚いた水鳥が羽音を立てて一斉に飛び、それを敵の大軍と勘違いした平家軍は慌てふためいて混乱し、戦いもせず逃げだしてしまったのでした。
平家軍のふがいなさを伝えるエピソードですが、実際のところは膨れ上がった平家軍の士気の低さが招いた出来事だったようです。この一件よりも前から、戦わずに源氏方に投降する兵が数百人はいたとか。
頼朝に抑え込まれた甲斐源氏
富士川の戦いの後、信義は頼朝から駿河守護に任ぜられました。その後は鎌倉と協調する道を選んだようで、信義の子・忠頼は木曾義仲追討の戦いで戦功をあげたとされます。しかし、元暦元(1184)年6月、忠頼に謀反の疑いがあるとして、頼朝は小山田有重らに命じて忠頼を誅殺してしまいました。
『吾妻鏡』6月16日条によれば、
「一條次郎忠頼振威勢之餘、挿濫世志之由有其聞。武衛又令察給之」
つまり忠頼は威勢を振るい、謀反のうわさがあり、頼朝もそれを察知していたので暗殺することにした、ということです。
結局詳細はわかりませんが、頼朝が自身と並びうる血縁の義仲を討ったことを考えると、甲斐源氏も自分と取って代わられかねないライバルとみなして早々に芽を摘んだというのが実情なのでしょう。忠頼の死後は信義の五男・信光を嫡流としています。
『吾妻鏡』によると、子を殺された信義は、2年後の文治2(1186)年3月9日に亡くなったとされています。
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【主な参考文献】
- 『国史大辞典』(吉川弘文館)
- 『世界大百科事典』(平凡社)
- 上杉和彦『戦争の日本史6 源平の争乱』(吉川弘文館、2007年)
- 『国史大系 吾妻鏡(新訂増補 普及版)』(吉川弘文館)※本文中の引用はこれに拠る。
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