「仁田忠常」猪に飛び乗った逸話で知られる武将。北条時政と二代将軍頼家の板挟みにあい殺される。

仁田忠常(にった ただつね)は、源頼朝が伊豆で挙兵した時から従っていた武士のひとりです。頼朝に信頼され、さらにその嫡男・頼家からも信頼されたといいます。

源平合戦、奥州征伐での武勇だけでなく、大きな猪に飛び乗った、曾我兄弟のひとりを討ち取った、頼家の命令で富士の人穴を探索したなど、いくつかの伝承でも知られる人物です。伝承含め、忠常の生涯を見ていきましょう。

頼朝挙兵当初からの家臣

仁安2(1167)年、伊豆国仁田郷(現在の静岡県田方郡函南町)に生まれた仁田忠常。名字は新田、日田とも書き、仁田四郎と称しました。

治承4(1180)年8月の頼朝挙兵以来ずっと頼朝に仕え、信任を得ていました。歴史書『吾妻鏡』文治3(1187)年正月18日条には、病に臥せって死にそうな忠常を頼朝が見舞ったとあります。

平家の追討では頼朝の異母弟・範頼に従って戦い、また奥州征伐でも活躍しました。

曾我兄弟の兄を討ち取る

建久4(1193)年、頼朝が主宰した富士の巻狩りにおいて、伊豆の武士・工藤祐経(すけつね)が曾我兄弟(祐成(すけなり)、時致(ときむね))に殺害される事件が起こりました。『曾我物語』という物語でも知られる、曾我物語の仇討ちです。

祐経は以前義理の叔父の伊東祐親(すけちか)と工藤氏の本領をめぐって敵対し、祐親の子・河津祐泰を殺害していました。曾我兄弟というのは、祐泰の遺児です。

曾我兄弟は見事仇討ちに成功しましたが、その後ふたりとも殺されています。この時、兄の祐成を討ったのが忠常でした。このことは『曾我物語』だけでなく、『吾妻鏡』建久4(1193)年5月28日条にも記されています。

忠常の逸話

『曾我物語』といえば、忠常が大猪に飛び乗って仕留めたというエピソードもあります。

矢を射立てられて怒り狂う大猪が頼朝めがけて突進してきたので、忠常は猪にさかさまに乗り、手綱もない中で猪の尾を手綱にして走らせ、最後には腰刀を抜いて猪の胴を数度刺して仕留めた、という逸話です。仮名本の曾我物語は、実はこの大猪は山の神で、忠常は神を殺した祟りにより謀反の疑いをかけられて討たれたのだ、としています。

ちょっと不思議な逸話はほかにもあります。『吾妻鏡』建仁3(1203)年6月3日、4日条の記述です。

頼家がするが国富士の狩場に出かけた際、頼家は山中に大きな穴(人穴/ひとあな)があるのをみつけ、中が気になったため忠常ら家来6人に命じて入らせました。しかしその日中に探索に行った家来たちは帰ってこず、翌4日になってやっと忠常が帰ってきました。人穴はとても狭く、蝙蝠が飛びまわり、川の流れの勢いがすごくて渡ろうにも渡れない。そうこうして困っていると、突然光が輝く不思議な現象が起こり、家来の4人はたちまちに死んでしまったというのです。忠常は頼家にもらった刀を川に投げ入れ、なんとか帰ってくることができたのだとか。

その後、頼家が発病し、忠常も同年中に殺害されることになります。占いによれば頼家の発病は人穴の神霊の祟りだということですが、あまりにもできすぎた話のように感じられます。

時政・頼家双方からの命令を受け……

同年9月、北条時政が比企能員を討つという出来事(比企能員の乱)がありました。

頼家の乳母夫(めのとぶ)で、頼家の長男・一幡の外祖父として将軍・頼家と結びつきを強めていた能員と、頼家の外祖父である時政。時政はやがて一幡が頼家の後継者になれば、将軍の外戚としての立場が能員に奪われてしまうと恐れていました。そんな中、頼家と能員が時政討伐の計画を話していたのを盗み聞きしたという政子がそれを時政に知らせたため、時政は「やられる前に」と能員を殺害したというのです。

この時、時政に命じられ能員を殺害したのが忠常でした。

ここまではまあよくある話なのかもしれませんが、忠常はなんと今度は頼家から時政討伐を命じられてしまいます。頼家は同様に和田義盛にも命じましたが、義盛はすぐにこのことを時政に知らせています。しかし、忠常はなぜかどっちつかずの態度を見せるのです。

頼家に命じられたまま断ることも時政に告げ口することもせず、ちょっと迷っていたのか、対応が遅れてしまいました。それを弟たちに怪しまれ、謀反の疑いをかけられて時政の命を受けた加藤景廉によって殺されてしまったのでした。


【主な参考文献】
  • 『国史大辞典』(吉川弘文館)
  • 『日本大百科全書(ニッポニカ)』(小学館)
  • 『世界大百科事典』(平凡社)
  • 『日本人名大辞典』(講談社)
  • 『日本歴史地名大系』(平凡社)
  • 岡田清一『北条義時 これ運命の縮まるべき端か』(ミネルヴァ書房、2019年)
  • 永井晋『鎌倉幕府の転換点 『吾妻鏡』を読みなおす』(吉川弘文館、2019年)
  • 元木泰雄『源頼朝 武家政治の創始者』(中央公論新社、2019年)
  • 上杉和彦『戦争の日本史6 源平の争乱』(吉川弘文館、2007年)
  • 校注・訳:梶原正昭・大津雄一・野中哲照『新編日本古典文学全集(53) 曾我物語』(小学館、2002年)
  • 渡辺保『北条政子』(吉川弘文館、1961年 ※新装版1985年)
  • 『国史大系 吾妻鏡(新訂増補 普及版)』(吉川弘文館)

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  この記事を書いた人
東滋実 さん
大学院で日本古典文学を専門に研究した経歴をもつ、中国地方出身のフリーライター。 卒業後は日本文化や歴史の専門知識を生かし、 当サイトでの寄稿記事のほか、歴史に関する書籍の執筆などにも携わっている。 当サイトでは出身地のアドバンテージを活かし、主に毛利元就など中国エリアで活躍していた戦国武将たちを ...

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