寺子屋で大流行!?江戸時代の優れた学習法「素読(そどく)」とは
- 2021/06/02
中・近世以来、日本の識字率は世界的にみても非常に高い水準にあったことがよく知られています。一般庶民が文字を読めるというのは当時のヨーロッパ社会と比べて特筆すべきことだったようで、江戸時代以前に訪日した宣教師たちが驚愕の目で記しています。
その高い水準を可能にしたのが、庶民を対象にした「寺子屋」による教育です。歴史ドラマなどで子どもたちが「し、いわく……」などと、なにやら難しい文章を読んでいるシーンが印象的ではないでしょうか。
それは「素読(そどく)」という伝統的な学習法であり、現代でも多様な効果があるとして再評価の動きがあるようです。今回は「素読」について解説したいと思います!
その高い水準を可能にしたのが、庶民を対象にした「寺子屋」による教育です。歴史ドラマなどで子どもたちが「し、いわく……」などと、なにやら難しい文章を読んでいるシーンが印象的ではないでしょうか。
それは「素読(そどく)」という伝統的な学習法であり、現代でも多様な効果があるとして再評価の動きがあるようです。今回は「素読」について解説したいと思います!
寺子屋での教育
寺子屋とは、子供たちが文字の読み書きや、そろばんを学べる場としての、庶民の教育施設のことです。その起源は中世に寺院が学問の教導を行ったことにあるとされ、江戸時代中期以降に増加。幕末には全国の町や村に1万5千を超えるほどに存在していたといいます。今回のテーマである「素読」も寺子屋の教育で学ばれました。
素読とは
素読とは、漢文の学習法の一つで、文字の意味や内容を考えることなく、ただ文字だけを声に出して読むことです。基本的に漢文の読み下しとなるため、言葉はとても難しいですが、単に読み上げるだけであれば小さい子どもたちでも訓練によって可能となります。
文章を読むこと、様々な語彙に触れること、文法や言葉遣いのリズムを体で覚えること、これらが素読の趣旨といえるでしょう。素読のテキストとしては、中国の古典である「四書(ししょ)」がよく使われたといいます。
四書とは『大学』『論語』『孟子』『中庸(ちゅうよう)』の総称であり、儒教の根本テキストの一角に位置付けられていました。
大ざっぱにいうと『大学』は儒教の入門書、『論語』は孔子と弟子の言行録、『孟子』は孟子のエピソードや問答集、『中庸』は儒教の中心思想を表す四書の締め括りとされています。
なかでも『論語』は現在でもよく知られており、渋沢栄一の談話録に『論語と算盤』というタイトルがあるのは有名です。幼少期の素読によって覚えた言葉や文章は、成長してその意味が徐々に分かってくるにつれてその真価を発揮します。
そういった意味でも、非常に優れた学習方法だったといえるでしょう。
おわりに
音読に対して「目読」というのは、明治期以降に生まれた新しい言葉だそうです。江戸時代までは文章を声に出して読むことが一般的だったとされ、体にそのリズムを沁みこませる効果があったと考えられます。五感に訴えかける素読は、現代においても応用範囲の広い学習方法といえるのではないでしょうか。
【主な参考文献】
- 『国史大辞典』(ジャパンナレッジ版)吉川弘文館
- 『全文全訳古語辞典』(ジャパンナレッジ版) 小学館
- 『古事類苑』(ジャパンナレッジ版)
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